散る花に誘われて18000歩、でも江戸時代の女にはかなわない 「むかし家今松 独演会・春」
2014年 04月 10日
大学を出てからずっと無沙汰の連続、Tさんの小母さんの亡くなったときも葬式に行きもしなかった(行けば行けたはず)。
次から次へと玉手箱を開けたように思い出がジグソウパズルの欠片のように映像化されてつなぎ合わされて、、子供たち(俺たち)の歓声や小母さんたちの笑い声まで聞こえてくるようで、、もうたまらない。
桜新町の開花状況をチエックして世田谷通りを目指してぶらぶら。
小学校のフェンスに卒業児童の作品がずらっと飾ってある。
なんか大人っぽい言葉が多い、自分で考えた言葉なのだろうか、かわいいのもあったけれど。
番台のオジサンが、「あんまりイジメルなよ」と、どうやら俺に話しかけていたようだが、あいまいに笑って答えず。
気持ちよくなって出る時、麻の長いスカーフを(首に巻くのは暑いから)だらっと体の前に垂らして歩こうと、へたくそにいじっていたら、「長いのを外に出していると自転車にひっかけられたりして危ないから中に入れたらいい」とオジサンが注意してくれる(再三)。
またもやあいまいに笑ってやり過ごす(中に入れたら暑いんだもん、といっても聞こえないようだ)。
スマホのナビの音が聞こえるが、あれでは俺だって行き着けない。
「何気なさに吸い込まれる」とキャッチがついた「むかし家今松 独演会・春」。
「独演会をやりたがらない師匠にやってもらう会」主催、今松のコアのようでほかの落語会では見かけない顔と雰囲気の客ばかり。
開口一番、笑二「子ほめ」
大道の物売りのような唄い調子で声張り上げて、明るくてなかなかいい。
かすかに談志の影を感じた。
小せん「あくび指南」
さわやかな語り口で嫌いじゃないのだが、いかんせん肝心のあくびが下手なのは以前聴いたときと同じ。
大家の祝いの席での鯛や寿司を前に長屋の連中が歓び騒ぐところ、その楽しそうなのにつられて黄金の大黒が恵比須様を呼びに歩き出す最後まで丁寧にやった。
ちょっと調子が出なかったか。
続いて「あまりいい落ちじゃないです、何かいい落ちはないでしょうか」といって、「笠碁」。
先代の馬生の演出をやや簡潔にした、まことにもって申し分のない好演。
碁仇の旦那二人の描き分け、富を積んでゆったりと碁を楽しむ空気が伝わってくる。
これも一つのハラハラ。
御仲入りのあと、丸一仙翁社中・江戸太神楽
芸歴40年という。
初めて見た、楽しいものだね。
今松「長崎の赤飯(こわめし)」
江戸時代の長崎は隔たること35・6日(順調に歩いて)、とんでもなく『遠い土地』だった。
その長崎と江戸を往復してあわや二人妻が出来そうな噺。
破廉恥市長・橋下の勧めるような愛人ではない。
勘当したくせに真面目な若旦那を手元に置きたい・智慧のない父親と、智慧があるようでつまりは猿智慧、ロクなことをやらない番頭のせいで追い込まれたのだ。
長崎の妻が夫・若旦那の後を追って八か月・身重なのに病気持ちの乞食に身をやつして(襲われないように)江戸までやってくる。
長崎~江戸、時刻表でみると1400キロ近い、35日で歩いたとすると毎日40キロ、俺の歩幅70㎝で割ると57143歩!
大井川を渡って、箱根の山を越えて、休むことなく照る日も曇る日も雨の日も、昔の人は良く歩いたね。
今回はプロ野球、大相撲、昔の名選手・力士の思い出やら今のメジャーからDeNAの予想まで話題は古今東西を駆け巡った。
座ったままでもどこまでも行けるのだ、語りあえる仲間があれば。
ふらふらと歩いて帰って17727歩、これではオコワが届かない。
うまい人はもっと少ないでしょうが、除夜の鐘で喜んでいた私などはね。
今日は12000歩も歩いたのですね。昨日の桜も、今日の桜も奇麗、八重は色が濃くて見応えが有ります。
今日の昼下がりは風が強くて花吹雪が尋常じゃなかったです。
父はそんなに特別ではない(私にとっては)から。
今頃のゴルフ場は美しいですね。たまに行きたくなりますがとっくに道後も捨ててしまった、技術は最初からないし^^。