ついに聴いたぞ権太楼「鰍沢」 第548回落語研究会
2014年 03月 01日
新聞で誰かが書いていた、柴田元幸責任編集の雑誌・「MONKEY」を買って、ついでに170円のボールペンも買う、自分に許すゼイタク。
電車に乗って巻頭の「ザ・パニッシュ」(ブライアン・エヴンソン、柴田元幸訳)を読み始めて、半蔵門に着いたが読み終わらない。
電車に読みかけの本を持って乗ると、うまい塩梅に降りる駅で読み終わることも多いけれど、わずか数ページ残ってしまうこともあるのだ。
落語会の時間までゆとりがあったので、降りずに読みつづけ、九段下で読み終える。
会場の片隅に先ごろ亡くなった山本文郎氏の写真が飾られている。
開演時間になっても6~7分の入り。
才紫「近日息子」
3月に眞打ち昇進、元気よくハギレもよかった。
王楽「しの字嫌い」
パンフレットにも書いてあったが王楽の父・好楽の十八番。
清蔵の間延びした訛り、謡調子が今風ではない。
それが独特の味を出していた。
部下の方が頭がいいってのは嫌なもんだろうがこの主はどこか楽しんでもいるようだ。
久しぶりの小さん。
語り口に独特の飄々とした味が出てきたようだ。
文治「豆屋」
落語研究会では先代圓遊以来44年ぶりのネタの由。
江戸の町を流して歩く物売りの声、糸を引くように粘っこい納豆売り、タマゴタマゴと二つ言わないと落ち着かないタマゴ売り、生、蒸かし、揚げと状態によって売り声を変えるサツマイモ売り、「ん」をいわない大根売り(でえこでえこ!)に「ん」を付ける牛蒡売り(ゴンボゴンボ!)、生きてる金魚は眠っているように死んでいるシコイワシは生きてるように、、いろいろやって見せて笑わせる。
長屋の中を売り歩く豆屋、こういう噺を聴くときには深川江戸資料館にリアルに再現されている長屋の光景が目に浮かぶ。
豆を買わない男の造型がニヒルなヤクザ風で面白かった。
こうしてみると文治、なかなか悪相でもあるなあ。
権太楼「鰍沢」
去年暮れから、2月には聴かせるからと予告のあった「鰍沢」。
東京かわら版のインタビューで、今までにない解釈でやるとも語っていたので楽しみにしていた。
子どもの頃は滝野川のキリスト教会にお菓子欲しさに行った、ついで母が天理教教会に、それに飽きた母に連れられて立正佼成会の教会に、明治学院大学では教会の中で落語の稽古、そして今は落語協会、私の人生はキョーカイで成り立っている。
と笑わせて、「心配しないで、やりますよ、鰍沢」といったかと思ったら、俯いて小さな声で「妙法蓮華経、妙法蓮華経、、」暮れかかる雪の中を歩く旅人の難儀。
小三治や扇遊のように囲炉裏に当たる場面、雪の中を逃げる場面などを入念に描くのではなく、全体にリアルな描写。
吉原の花魁と生薬やが心中しそこなって山中に潜んでいる、その二人の幸せだけど切羽詰まった愛。
亭主に飲ませる酒を買ってきた女が雪に足を取られて救いを求める。
留守に帰った亭主が毒入りの卵酒を飲んだあと、女の嘆願に
亭主は使わなきゃいけねえと思っていやがら、、えいっ、ホレた弱みだと立ち上がろうとして毒が回って倒れる。
死んじゃダメ死んじゃダメ、、あれだけ苦労して、死ぬときゃ一緒だって言っただろ旅人の卵酒に毒を入れたのは金を取りたかったから、そうすりゃ二人はゆっくりできる。
火縄銃で撃ち殺そうと追いかけるのは亭主の仇討、「旅人が来なければ!」
旅人は一度逃げ出してから置いてきた金の入った胴巻きが惜しくなって取り返しに戻る。
逃げ出すときに登ってきた方と反対側に逃げると断崖で行き止まりになる。
小三治の「鰍沢」に比べてどうだろう。
俺は小三治の方が好かった。
だいぶ顔なじみになったご常連たちと他愛もない話でつい遅くなってぶらぶら歩いて帰る。
そうですかァ、小三治版も聴いてみなくては!
酒は土佐鶴でした。
やや異常の気味もありますが。
参道の脇にある狛犬は、日清戦争のとき中国のお寺から強奪してきた中国獅子。
靖国神社オフィシャルガイドブックには、朝鮮から明治天皇に献上されたと書いてありますけど、真っ赤なウソです。
早く元のお寺に謝罪して返還すればいいのに。
「辞表を提出したのは個人の意思ですから」、体のいい首切り、ちんけですが似てるなあ。
是非、聞いてみます。
相撲が楽しみです。
大汗かいて山登り、氷水をふるまわれる、なんて全くダメです。