「星の王子様」は古本屋の先生だ 内堀弘「古本の時間」
2014年 01月 14日
ぐるっと棚を見渡して「本当に何もないねえ」、そう言って笑った。今はもう見かけなくなった木造モルタルのアパートの、その一階の五坪ほどの小さな店だった。「でも、最初からそこそこある店は、たいていそれよりは面白くならないよ」。そんなことを言うコルシカさん、屋号の由来を聞くと
「星の王子様」には古本屋にとって大切なことが全部書いてある。サン=テグジュペリはコルシカ島のあたりで死んだのだ。
古本屋は売るのが仕事ではなくて、買うのが仕事なんだと教えてくれたのもコルシカさんだった。店をやっていると、そこで売れる本がいい本に見えてくる。だから駄目なんだ。自分が欲しい本、買いたい本をどれだけ心の中に持っているかが全てだ。だから、できれば店なんかない方がいい、本は目で探すんじゃない。内堀が『図書新聞』に毎月書いたコラムの2001年から2013年分を集めたエッセイ集。
私は、こういう言い回しにとても弱かった。
ここにはコルシカさんみたいな人がたくさん登場する。
古本屋仲間、顧客、本を作る人、、ちょっと(大いに)世の凡人とは違った世界観・時間軸で生きている人たち、それは、
”らち外”に生きることをすがすがしく感じるような人たち、作家などの集合写真で「一人おいて誰々」と飛ばされるような人たち、無駄をいとおしむその豊かさがそのまま人柄になっているような人たち、、
を見る内堀の目は優しく(自分自身を見ているのでもある)、読む者の気持ちをほっとさせもし切なくもする。
戦後の古書業界は炭鉱に似ている。娯楽であれ教養であれ、かつて本がその主要なエネルギー源で、それは月遅れの読み物雑誌から、大学や図書館の新設のために求められる専門書の類まで、およそ本の形をしたものは、世の中から渇望されていた。そんな時代に、古本屋は世の中のあちこちを掘って、掘って、また掘っていた。俺も”渇望”したなあ、月遅れの雑誌から世界文学全集、、本の形をしたものがあると嬉しかった。
そして今でも俺の主要なエネルギー源だ、エコだねえ。
古本屋の仕事は、一冊の本がどれだけ多様な本に繋がっていくのか、周辺がどんどん広がっていく面白さなのだ。(だからいつも場所が足りない)。
財産は増えてもそれは売れない財産、明日のことを気にしたらやってられない。
本は書いた人だけのものではない。
フォントとかマージン(余白)とか紙をどうするかとか製本や装丁、つまり紙の器それ自体が物語なのだ。
姿あるものは、姿なきものの影ときにはその本に書きつけられた署名、献辞、感想、落書きですら物語の要素、むしろ作品以上の”価値”を創りだす(長い年月を経て)。
電子辞書にはない物語、ちょっと落語の「茶金」を想う。
と同時に、とても俺にはやれなかったなとも思った。
コルシカさんは借金を踏み倒して行方をくらましたのだ。
晶文社
saheizi さんに吠えてる!と時々コメントするけど、政治家への本音や社会の様々な出来ごとに噛み付けるのが魅力です。追伸で一寸訂正してあった文章も見逃してなかったんです、saheiziさんの
いいとこが見えた気がします。
いよいよ都知事選の候補者が見えて来ましたね。脱原発です!!
小泉と連携、私は小泉は好きではないけれどそんなこと言ってるバヤイじゃない、原発をぶっ飛ばせ連盟発足です。
都知事選の行方、目が離せません。
ブックオフはここでいう古本屋とは似て非なるものです。
都民にぜひメールなり電話なりしてくださいませ。
おかきを食べながら本が読めるからと単純に憧れて。。。。笑。
その頃確かに本に飢えていました。学校の図書館には読みたくなる様な本は少なかったし。
そう言えば古本屋だけでなくて貸本屋がありましたね。
別にこちらは受ける予定の試験はないのですが、そう書いてあるとつい読み返してしまい、興味が湧いてきてブログのネタにしてしまうこともありますね。
苦戦中ですね。
中学校のとき、貸本屋に行ったら先生が店番してました。
眼鏡をおでこにあげて私を認めた時の顔を思い出します。
借りた本は尾崎一雄「暢気眼鏡」だったような気がします。後から作り上げた記憶かもしれないけれど。
買いはしなかったけれど。
東京はまだまだいい古本屋さんがありますよね。
細川さんはちょっとどうなの、と当初思っていましたし、小泉はイヤでしたが、脱原発を公約に掲げる都政、いいではありませんか。宇都宮さんもいい。東京の知り合いたちもそう言っています。
福島の人にとって都知事選は他人事じゃないでしょうね。