水戸黄門の実像? 冲方丁「光圀伝」&検察は徳洲会と政治にメスを(猪瀬問題拾遺その1)
2013年 12月 19日
本のことを書こうと思ってパソコンに向うのだが、色気を出してちょっとマクラを書こうなどと思うからいけない。
牛のよだれがとまらなくなって本題にたどり着かないのは下手な噺家と同じこと。
「天地明察」に登場する徳川光圀(始めは「光国」)の伝記小説。
水戸黄門は隠居後の通称、黄門とは中納言のこと。
やんちゃな少年がなぜか兄をさしおいて水戸家の世子(跡継ぎ)とされて育てられる。
厳格な父が幼少の光圀(子龍が幼名)を次々に、「深夜馬場にさらした罪人の首を屋敷に運べ」、「死体や汚物で一杯の荒れ狂った隅田川を泳ぎ渡れ」、、”お試し”をする。
なぜ俺が世子に、なぜかくも厳しく?
悶々たる思いを内に秘めつつも負けん気で必死に勉学に励むかたわら千住の居酒屋で浪人や遊興の若侍たちと交友を深める(偽名で)。
林羅山の二男・天才・読耕斎とは刎頸の交わり、叔父である尾張徳川の義直が史書への目を啓き人間としての相談相手にもなる。
詩をもって天下をとりたい文化文芸の神として朝廷の精神的支柱となっている後水尾上皇の神技ともいうべき詩作に接し感動する。
冷泉家を再考する為景もともに詩の頂を極めようとする同士になる。
自分が世子となることによって家を追い出したことになる兄がなにごとも優しく相談に乗ってくれる。
王位を弟に譲った伯夷・叔斉の大義を自分に当てはめたらどうなるのか。
今の若者には問題の意味すらわからないことを一生かけて思い悩みたどり着いた大義を貫徹する。
「政教分別」「公平な税制」「大学制度」「海外貿易」、光圀が水戸家を相続したのちやりたかった4つ、時代が追い付かなかったし、当面する問題が多く、実際はほとんど実行できなかった。
だが名君だ。
詩文のみごとさ、ことに臨んでの判断・臨機果断な措置、多くの大名公家が近づきを得ようとし、ときには相談・援助を願う。
「本朝史記」のちの「大日本史」の編纂は畢生の事業だった。
将軍、とくに綱吉とか大名たちが等身大で見えてくる。
映画になるのかな。
長いけれど最後まで読み通させるだけの力のあるエンタテインメントだ。
光圀の百分の一でも「志」というものをもっていたらこんなやめ方をしないで済んだはずだ。
石原たちに詰め腹を切らされたのか。
検察は不可解な徳洲会と政治とのかかわりを徹底解明して欲しい。
角川書店
人の表情ってこうも変わるものなのですね
逆に楽になったかも?しれませんね
まあ、悪党の腹積もり想像するのは難しいけど
水戸黄門の話 読んでみたいです
今こそああいう人材必要なんでしょうが
悪代官や悪問屋ばっかり目立ちます
光圀は妾腹の子として生まれ世継ぎとは縁のない幼少時代を過ごし、浪人や遊興の若侍たちと交友があったのはそのせいで、水戸家を相続したのちも、軍事演習(当時の大名の重要な勤めのひとつでした)を精力的に行い、負傷した家臣に対しては「厩火事」どころか「そのまま山に放置しておけ」と言い放ったとか。
「大日本史」の編纂は藩の財政を揺るがすほどの出費があり藩士たちにとっても領民にとっても決して名君ではなかったそうです。
戦国の世が終わり泰平の世が始まり、武治から文治へと切り替わる時代を象徴するものとしてたまたま光圀が選ばれ、光圀の名君像は作られたものに過ぎない、と、その本には書いてありました。タイトルと著者名は忘れてしまいましたけど。
二作とも読みごたえがありました、面白いし。
もっとも読んでるそばからインチキくさい本は途中でやめます。
光圀の父は正室を持たなかった、その所以も本小説の大事なポイントになっています。
だからこんな表情をする事もあるんだ!と、変な事で感心しています。
結局、今回の事も普段の人を小馬鹿にするような性格が災いして、その人脈のなさでこういう結果になっただけの事で、大なり小なり政治家達始めこういう役職につく人達は、過去も現在も未来もこういうお金がらみのつながりは消えないって思います。
含羞の人と真反対、順調な時はそっくり返って小鼻を膨らませていたのがたかが5000万円でああもみっともない態度・顔になるのかといっそ哀れを催しました。