修羅を脱け出せるのはデクノボーだけだ こまつ座「イーハトーボの劇列車」
2013年 10月 18日
最初のうちは劇の中に入っていけなかった。
説明的なセリフが面倒、落語とか能・狂言のようなものしか受け付けなくなっているのかもしれない。
家出した宮沢賢治(井上芳雄)を連れ戻そうと父親(辻萬長)が上京して、賢治と宗論を戦わすあたりから面白くなった。
賢治が法華経を信じ先祖代々の浄土真宗を否定、その大きな理由に法華経は、「今いるそこを浄土としろ」といい浄土真宗は、「とおく西方浄土の阿弥陀様を信じて生きよ」という点にあるという。
そこで父はニヤリ、「だから東京でなくて花巻に戻って花巻を浄土にしろ」、一本取られた賢治。
下宿のおばさん(木野花)を立会人にした一幕はいかにも井上ひさしらしい言葉遊びやユーモアが横溢して楽しかった。
東京に憧れつつも結局は故郷花巻にユートピア=イーハトーボを作ろうとする。
エスペラントを農民に教えて世界中の農民と話をさせたい。
詩人、童話作家、宗教家、音楽家、化学者、農業技師、土壌改良家、造園技師、教師、社会運動家、、情熱の赴くままに理想を追い求めた賢治は、
どれもうまくいかなかった自立できず、父の意を受けて追いかけてきた刑事(辻萬長)に徹底的にやられる。
あんだは百姓だと自分でおっしゃっとるが、百姓仕事でご飯を食べていますか。、、何から何まで親がかり、そんな百姓がどこにいますか。あんまり百姓をばかにせんでもらいたい。賢治はつらかっただろうなあ。
修羅の世界から脱け出すためにどうしたらいいか。
賢治がたどり着いたのは
ほかの人のために徹底的に自分の命をささげる。という考え方だ、と西根山の山男が総括する。
この劇は、なめとこ山の熊撃ち、人買いの神野仁吉、風の又三郎など賢治ワールドの登場人物が狂言回しをする。
さいごに彼らが汽車の座席に横たわる賢治を、苦しまずに死なせて楽にしてやろう、と窓を開けて冷たい空気をいれてやる、肺炎ならすぐ死ぬだろうと。
日蓮上人だって人間だ。
元気があるときは自分が世界を救う唯一の人間だと思っただろうが、思い屈するときには自分を木偶のボーだと思っただろう。
私のような弱い人間には木偶のボーの日蓮の方がありがたい、と賢治はいう。
自分がデクノボーであると思いつめて、徹底すること、それが真の力です。人間が、自分のことを、世の中にあるもののなかでいちばん馬鹿で、めちゃくちゃで、まるでなってないと思い、それに徹したとき、まことの力があらわれるのです。関東軍の石原参謀の信奉した日蓮は強い救世主日蓮、賢治の日蓮とは違うのかもしれない。
人々を結びつけるのはエスペラント語ではなくて、透き通った空気、大地の恵みと宇宙の不思議に感謝・敬意・畏怖の念をいだく謙虚な気持ちではなかろうか。
言葉はむしろそれぞれの方言がふさわしいのだ。
標準語では伝えられないような、腹の底から湧き出る何かを伝え合うべきなのだと思う。
「農村をつぶすな」「きれいな空気を大事にせよ」、、現修羅場に求められる最重要課題だ。
軽く飲んで歩いて帰ったら、16600歩。
■作井上ひさし■演出鵜山仁■出演井上芳雄 辻萬長 大和田美帆 木野花 土屋良太 石橋徹郎 小椋毅 松永玲子 田村勝彦 大久保祥太郎 鹿野真央 みのすけ 演奏:荻野清子 ■ストーリー 大正七(一九一八)年十二月二十六日、宮沢賢治は、故郷花巻から東京に入院している妹・とし子の見舞いを目的に上野行きの夜行列車に乗り込んだ。その手には大きな革のトランクが握りしめられ、たくさんの願いが詰め込まれていた。 「大好きな音楽を聞き、エスペラント語の勉強をする。そのためには家の重圧から逃れ、父の庇護の下を離れなけ...... more
名古屋に来ないかな、こまつ座。
兵庫ではやるようですがね。
行きたいなぁ~~
石牟礼道子が巫女であるように。
優しくなるには、強い心が必要だと実感する昨今です。
優しさを続けるのには健康が必要なんですね。