一朝・さん喬・雲助・志ん輔・小満んが「魂」「葬儀」「夫婦・不倫」「親孝行」を語る 「らくだ亭」
2013年 10月 03日
なによりもそこの人となりが大事だ。
獣医さんのところでもあずかってくれるのだがこちらの方がいいかな。
子供が小さい頃住んでいたところに近いので、こうしてぶらぶら歩いているといろんなことを思い出す。
秋、いささかおセンチになる隠居。
ここを左にとって新道坂を上ると槍ヶ崎交差点を過ぎて恵比寿駅に向かう。
恵比寿から日比谷線で人形町へ。
人形町でも小一時間歩いて日本橋劇場で落語会、「らくだ亭」、50回記念でレギュラーが勢ぞろいなのだ。
一朝「魂の入れ替え」
人が寝ている間に魂は抜け出して散歩するのだそうだ。
棟梁と先生が枕を並べて寝たはいいが抜け出した魂が入れ替わって身体に戻ったからひと騒動。
魂同士が話して「これからナカ(吉原)に繰り込もうか」なんてのも愉快。
さん喬「片棒」
ケチベイさんが死んだらどんな葬式をするか。
長男は二日間通夜をやり、歌い狂い踊り狂い、イヨマンテの夜。
三つ重ねの会津漆重箱にご馳走を詰めて車代もどんと弾んで、、これじゃ破産しちまう。
次男が木遣り、手古舞、山車、神輿の大行列で度肝を抜こうという趣向。
山車の上にはケチベイさんのからくり人形のコキコキという動き。
お囃子の真似は先に出た一朝のスバラシイのが甦ってさん喬にはお気の毒。
文楽と志ん生の十八番、雲助は両方をミックスしていたようだ。
髪結いをして養っている年下の亭主が自分が年をとったときにも優しく看取ってくれるか、真情をつかみかねるお崎。
ガラガラよくしゃべるが根は純情で可愛いい女房。
雲助のお崎、いまいちそこが物足りない。
それは、お崎をやるのは難しいということだ、現代じゃ見かけない女だし。
志ん生や文楽の時代にはあちこちにいる女だけれど。
蟻が鯛(ありがたい)なら芋虫ゃ鯨みたいな地口は楽しい。
志ん輔「紙入れ」
今日は限られた時間に5人の実力派を並べたからみんな短いマクラ、そもそもあまり長いマクラをやらない人達でもあるが。
その中で「ここだけのナイショ、間男一件」の小噺をスマートにやって好調な出だし。
亭主の留守に新さんを呼びつけてイイコトしようと迫るオカミサンの色っぽさがイイ塩梅で可笑しい。
翌日の新さんと旦那の会話も抑制が利いていながら充分に笑える。
今日のグランプリだ。
小満ん「二十四孝」
乱暴で親を平気で蹴っ飛ばすという八五郎を大家さんが唐土の説話に出てくる親孝行の事例を引いてたしなめる。
冬のさなかに鯉を喰いたいという母のために凍った池の上に腹ばいになって氷を溶かした男とか、同じく雪の中を母のために筍を探す男など。
八五郎が終始、地口を交えてチャカすのが聴きどころ。
早口で聞き取りにくいところもあったがこれが小満んだ。
テーマなしで集められた人形も楽しい。
隠居は遠くには行けませんから。
ここでもマンションのまわりはつまらないです。
やはり不揃いな街並みが味があります。
それも光輝く健やかな光景ではなくて闇とか退廃の気配をまとっている光景が。
私は未体験ゾーンです。
今どきの女性はオトコよりもシゴトのほうが好きですし、オトコがいなくってもオカネさえあれば自分が年をとったときに看取ってくれる所はたくさんありますから。
こちらも中身が心配ですけど。
池尻大橋からすぐ、目黒川の畔です。
古風というのかなあ。
愛する人と一緒にいたいという気持ちは今も昔も変わらないのでしょうがね。
私が住んでいた頃にはなかった店です。
前の勤務が中目黒だったもので……。
近所にあればいいのになあ。
土地柄からは珍しいような気がします。