鶴と亀と天女と老尼と四頭の獅子が舞い踊り 俺は燗酒を飲む十三夜
2013年 09月 18日
国立能楽堂開場三十周年記念公演と銘打って四日間、いずれも豪華な番組、そのなかでひときわ激戦を究めた三日目の切符。
俺は半ばあきらめていたら「取れたらいきますか?」「いかいでか!」
同じ空気を吸っている人とも思えない、いつもトリガテの切符を取ってしまうお方、執念の違いかもしれない。
子方の高橋希、和久倫太郎がたどたどしくも微笑ましく鶴と亀の中之舞。
続いて皇帝自ら、喜びの楽。
年寄りと子供と、、めでたし。
三保の松原の漁師・白龍(ワキ・宝生欣哉)が松の枝にかかった美しい衣を持ち帰ろうとすると、幕の内から
のう その衣はこなたのにて候低く、しかしよく通る声、人の発する声とも思えない。
衣を返さないと言ったときの天人(シテ・友枝昭世)のいかにも途方にくれた頼りなげな風情、天人五衰眼前がタマラン。
白龍ほだされて、衣を返す。
衣を「あらうれしや候」と受け取る天人、にわかにすっと背が伸びたよう、神々しさを取り戻す。
シャンパンゴールドの紗には草花の縫い取り。
裳裾を翻し天人が舞い踊ると、不思議だ、能楽堂が三保の松原になりそれがそのまま天空になった心地。
東遊(あずまあそび)の駿河舞、この時や初めなるらん世界遺産には登録されなかったか。
序ノ舞に入ると
色香も妙なり、少女(おとめ)の裳裾、左右左、左右颯々の、花をかざしの、天の羽袖、なびくも返すも、舞の袖ますます華やかさを増す。
やがて時移って、三保の松原から浮島が原へ、さらに愛鷹山から富士の高根へ、橋掛かりを幕の方へ遠ざかる。
かすかになりて幕の前で、糸の切れた凧が空に舞い上がっていくように小さくクルリクルリと二度ほど回って
天つ御空の、霞にまぎれて、失せにけり幕の内に消えていった。
席が正面の右壁よりだったために橋掛かりの勾配、距離感がいつもよりはっきりして、天人が空遠く消えていくのが、ゾクゾクするようにリアルに感じられた。
能舞台ってのはうまくできている。
羽衣の囃し方、笛・一噌仙幸、小鼓・林吉兵衛、大鼓・亀井忠雄、太鼓・観世元伯が揃って、向かい合って囃す。
里の女(アド・野村万蔵)たち女五人が登場。
庵の老尼、御寮様(シテ・野村萬)の庵の梅が見ごろだから見に行こうと連れだってやってくる。
老尼と女たちの梅見の酒盛り。
謡あり小唄あり舞あり、なんとも長閑なり。
寂昭法師(ワキ)が宝生閑、久しぶりに見られて嬉しい。
舞台前面一杯にそれぞれ赤と白のみごとな牡丹を飾った二つの一畳台が置かれてこれが石橋の見立て。
普通の演出と異なり、白獅子(シテ・観世銕之丞)、白獅子(ツレ・片山九郎右衛門)、赤獅子(ツレ・観世喜正)、赤獅子(ツレ・梅若猶義)と四体の獅子が舞台狭しと舞い踊る。
笛・松田弘之、小鼓・幸清次郎、大鼓・柿原崇志、太鼓・小若佐七が猛烈に囃せば獅子どもは得たりやおうと首を振り足を踏み鳴らし身体をゆする。
スペクタクル、豪勢。
ああ、余は満足。
実はブログにアップしてないが先週埼玉で「ヴェニスの商人」を堪能したあと、国立能楽堂で友枝昭世「枕慈童」などを見たのだ。
その時に懐かしい仲間と久しぶりにご一緒して反省会をやり、「イイネ、この集まり」だった。
行き当たりばったりに入った「台楽」も気に入った。
こんなにすぐ再会するとは天女のお導きだ。
能を習っている方も加わり一段と楽しく盛り上がった。
テレビと向かいあって座っていたAさんが、「あら!奥田瑛二が亡くなった」と小さな悲鳴。
振り返ってみたら「豊田英二」だった。
ね、楽しそうでしょ。
奥田さんのご冥福を祈りつつ。
能を理解されるのですね。
その様な教養のある人が羨ましいです。
ぜひチャンスを見つけて足を運んでご覧ください。
理解しようと思わずに感じたらいいと思います。
なんどか観ている演目だから言葉もわかったせいかもしれない。
ぜひお体を大事にして能楽堂に足をお運びください。
彼岸花もきれいだこと、台風がきて一挙に秋ですね!
定例公演だと詞章がモニターに出ますからわかりやすいですよ。
「羽衣」も舞ったことがありますが、師匠から「君に女舞は似合わんなあ」と言われました。
さすが国立能楽堂開場30周年、豪華な番組でした。
演能後は楽しい集まりに加えていただき、
久しぶりに大勢で笑いました^^ありがとうございました。
すみません、先日の話の追加です。(言ったかな??)
舞の部分の詞章を必ずノートに書きとめています。
これも覚えるひとつの手段です。
ノートに?やっぱりね、そうじゃなきゃなかなか石川遼式だけでは覚えられないでしょう。
舞の部分だけでも覚えて分かれば地謡のところもそれこそ自然に頭に入ってくるのでしょう。