映画も言葉がなくちゃつまらない 無藝荘&太田直子「字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記」
2013年 08月 27日
東京に帰ったらさぞかし炎熱地獄だろうと覚悟していたが、昨日もさほどの暑さではなく今朝は涼しいと言ってもよいほど、でもさすがに今は熱い日差しが満艦飾の洗濯物を乾かしてくれている。
会い度い会い度い もう一度中学生になりたいなあ野田が
三時のバスで誰かくると思いしも 誰も来ず 依って山道を散策二人で(来訪者も)つけていた蓼科日記のなかの文章。
高原の夏ってやつは少年に似あう。
俺は野球少年に戻って変な夢をみたし。
ぎらぎら照りつける白昼、無人の神社の境内を見ているとミヨチャンやユウジクンの甲高い声が聞こえてくるし、走っていくその足裏が見えたりする。
無藝荘の囲炉裏を焚きつけている柳沢さん、ほら、小津監督に似てないかい。
こちらは外国映画の言葉をどう読ませるかの世界。
一秒四字、二行まで。
パッと見て分かる字幕の基本だ。
こういう制約があるから、「癒し」だとか「自分探し」などという情けない手垢のついた言葉も使わざるを得ない。
小津&野田コンビのような言葉の芸術は味わえない。
かといって吹き替えではもっとひどいことになる。
字幕屋にはどうしたらなれるか、そのオカシクも悲喜こもごもの毎日。
字幕つくりの世界にも見えてくる言葉の崩壊、効率化優先の映画作り。
太っ腹~~!!
できる親も受けられる子どもも幸せやねぇ。
行きたくなりました。
この一連の投稿で、蓼科も候補になりました。
高校時代の友人が、原村に完全移住したもので……さらに。
柳沢さん、確かにOZUの雰囲気です^^。
ペンションの家族とも仲良しでとても楽しいのですよ。
幸せなことです、感謝です。
亡き人たちに申し訳ない気持ちもあります。
高原の夏も短い。
休養疲れ?
それも懐かしいです。