女の執着 男の執着 とかくこの世は 「呂蓮」「通小町」@国立能楽堂
2013年 07月 19日
最前列、舞台を見ているだけで気持ちが落ち着いてくる。
笛や鼓の音が聞こえると快い別世界だ。
シテ・出家・石田幸雄は西国めぐりの途上、アド・宿主・野村萬斎に宿を乞う。
宿主は出家の気楽な境涯、後生の極楽を望み、剃髪して僧になりたいという。
カミさんの了解は得たのか?
もちろん!早く出家しろと言われてる。
ジョリジョリジョリ、頭がきれいに丸められて、僧の衣も貰って、あっぱれ俄か坊さんがイッチョあがり。
萬斎は法名をつけてくれといい、蓮の字が入っている方がいい、そんなら「伊蓮坊」「はれんぼう」「ホレん坊」、、幸雄坊さん、イロハ順に言って結局「呂蓮坊」に決まる。
そこへ小アド・妻・高野和憲が登場、勝手に出家するなんてひどすぎる、許さない!
じだんだ踏んでワワシイ女房。
萬斎は「この坊さんが無理やり坊主にしたんだ」と逃げ口上。
「髪を元のように生やせ!」女房は幸雄坊主と萬斎坊主に取りすがって泣き口説き、挙句は亭主と消えていく。
幸雄坊さんひとり残される。
出家は気楽だ、だが出家するのはなかなか難しい。
八瀬の山里で座禅修行をしている僧・ワキ・森常好のところへ毎日木の実や枝をもってくる女がいる。
女・ツレ・大島輝久が「椎、柿、篠栗、梅、桃、梨、蜜柑金柑、、」木の実尽くしを謡ったあと、名前を尋ねると、「恥ずかしい、自ら己(小野)とは言うまい、薄の茂った市原野辺に住む姥です、どうか亡き跡を弔ってくれ」と言ってかき消すように失せにけり(失せても中入りしないで後見座に装束も改めずに待っている)。
それで思い当たるのは、ある人が市原野辺の薄の陰から
秋風の吹くにつけてもあなめあなめ、小野とはいはじ薄生ひけりという歌が聞こえてきた。
小野小町の髑髏の目の穴から薄が生え出て、それが風にそよいで「あな、目痛し」(穴目)」というのだ。
きっとあの女は小野小町の幽霊だ。
僧が市原野辺に行き経をよむと小野の幽霊は喜んで「戒を授けてくれ」(仏弟子にしてくれ)という。
すると、幕の内あたりから低く恐ろしい声で、
いやかなふまじ戒授け給はば、恨み申すべし。はや帰りたまへお僧深草の少将の霊・シテ・粟谷能夫だ。
俺だけを残して行くなといえば、僧はそなたも一緒に戒を受けろと説得する。
小町は少将が何といおうと私は授戒すると言い、少将は
さらば煩悩の犬となって、打たるると離れじなんとまあ、恐ろしい姿!
小町の袂を取り肩に手をかけ引き留める少将の霊。
小町の霊は、そんな気持ちがあったとは知らなかった、と冷たい言葉。
車で通うと人目につくからと言われ、輿や車もやめて跣で通ったのだ。
少将の霊が舞いつつ「あら暗の夜や」というと小町の霊が「夕暮れは、ひとかたならぬ思ひかな」とつける。
間髪を入れず、大きな声で厳しく問いただすように「夕暮れは何と」と小町を見つめる少将の迫力。
お前は月を待ってひとかたならぬ思いなのだろう、俺を待ってるのじゃなく、嘘ばかり。
幽霊になって恨み言を繰り返す少将。
九十九夜を過ぎてあと一夜、笠を捨てて風折烏帽子、蓑を脱ぎ捨て花擂り衣の色がさね、裏紫の藤袴、紅の狩衣を気高く着こなして、祝の酒も飲酒戒を守って、それで少将・小町揃って仏道なりにけり。
そういう心を抱きながらも百夜の様子を舞う姿は気品と雅趣に富んでいた。
笛 藤田朝太郎 小鼓 観世新九郎 大鼓 亀井広忠
地謡 粟谷充雄 内田成信 金子敬一郎 粟谷浩之 狩野了一 粟谷明生 出雲康雄 長島茂
後見 友枝昭世 中村邦生
式三番、女、「万媚」「曲見」など、男、「邯鄲男」「弱法師」「俊寛」など、尉、悪尉、怨霊、「痩男」「蛙」「二十余」など、癋見(べしみ)、飛出、50種類を超える面が展示されています。
そこがいつまでも面白い理由のひとつなのかもしれません。
それが不自然にも感じられないのも不思議です。
なかなか古典の世界の入りきれず、現代の目で観ちゃってます・・・。
謡いは長年稽古しましたが、なかなかシテをやらせてもらえませんで、いつもワキばかりでした。
やめて何年にもなるので、もう声は出ませんが、あの幽玄の世界にもう一度浸りたいものです。
あの空間、音、舞姿、意味が分からなくてもいいものです。