日帰りで地獄ツアーに行ってきました 第92回「粟谷能の会」
2012年 10月 15日
とくに明生が能の普及に心掛けて自身のブログや鑑賞講座の開催などで俺のような朴念仁を導いてくれるのはありがたい。
金子あいの解説のあと
舞囃子「融」
粟谷尚生が若い源融の幽霊を舞う。
能「歌占」
伊勢二見が浦の神職・渡会の某(シテ・粟谷能夫)が神に無断で諸国をめぐって神罰で頓死、しかし三日目に甦る。
その間の地獄の苦しみで白髪になってしまう。
短冊に書いた和歌で占いをする「歌占巫」となる。
里人(ワキ・宝生欣哉)が幼子・幸菊丸(子方・粟谷僚太)とやってきて、自分の父の病気の行く末と幸菊丸の生き別れた父の行方を占ってもらうと、自分の父は回復するぞ、それからなんと!幸菊丸の父が渡会の某であることが判明する。
里人は渡会の某に観てきた地獄の有様を語って聞かせろとせがむ。
渡会の某は「この謡を謡うと神がかりになりますが」といいながら、人間存在の空しさ
名利身を扶く(たすく)れども 未だ北邙(ほくぼう・墓場)の 煙を免れず 恩愛心を悩ませども 誰か黄泉の責に従はざるや、剣樹地獄、石割地獄
両崖の大石 諸々の罪人を砕く火煩地獄、焦熱・大焦熱地獄、紅蓮地獄などの様子を舞ってみせる。
子方が可愛い。
地獄の曲舞は思ったより感興が薄かった。
美しくはあったが恐ろしくはないのは俺の想像力が十分に働かなかったからだろう。
狂言「富士松」
太郎冠者・野村萬 主人・野村扇丞
短気で横暴な主が機転の利く太郎冠者を連歌勝負でやっつけて富士松をとりあげようとする。
萬さんの笑顔を堪能する。
さてお目当ては能「求塚」
4年前に友枝昭世のシテを観て以来の曲目。
流派によってはタブーとして上演しない地獄の曲。
「歌占」も地獄、落語会では「ネタがつく」(同じ題材の噺)は、ご法度、しかも春の曲だが、菊生の好いた曲だからやむを得ないのだ。
4年前と違って鑑賞講座に出て、詞章を書いたパンフレットもいただいたので謡の内容がよくわかる。
なるほど地謡の曲といわれるだけのことがある。
謡の内容が分かると囃子の亀井広忠(大鼓)、大倉源次郎(小鼓)の掛け合いの妙もよく見える。
前半のシテ・里の女・粟谷明生とシテツレ・佐藤陽、粟谷尚生がワキ・旅僧・森常好の「ここが生田の里ですか」という問いに答える合唱は、ちょっと教会の信仰告白を思わせるような同じメロデイが繰り返される。
そのあと、シテと地謡(地頭・友枝昭世)が掛け合いのように楽しげに謡う若菜摘みの歌ものどかで、いとをかし。
春の野に 春の野に菫摘みにと来し人の 若紫の葉や摘みしこういうやり取りの楽しさは落語にも通じる。
げにやゆかりの名を留めて 妹背の橋も中絶えし
佐野の菫立(くくたち)若立ちて
緑の色も名に染む
長安の薺
唐薺
白み草も
有明の 雪に紛れて、、、
出だしの鋭いひと吹きはちょっと情けなかった笛・一噌仙幸も抒情の場面では豊かな音を響かせる。
中入りで生田の里人・アイ語り・野村万蔵が求塚のいわれを語るのだが、それが驚き!
鑑賞講座で「山本東次郎しかやらない」と聞かされた二人の武者の死後のエピソードを語るのだ。
小竹田(ささだ)の男の家族は烏帽子・狩衣や刀などを一緒に埋葬したが、血沼の益荒男は身一つで葬られた。武器とともに埋葬されたオサダの男が夜ごと、血沼の益荒男に斬りかかっていたのだ。
ある日、一人の旅人が行き暮れて塚のあたりで仮寝をしていたら、血にまみれ凄まじい形相の男が枕に立ち、刀を貸してくれという。
貸してやると、立ち去って、しばらくすると罵り合う声などが聞こえた。
暁近き頃、その男が再びやってきて、年来の思いが叶って嬉しいと言って消える。
旅人が塚の方へ行くと赤々と血が流れたところがあって、そこに貸した刀が血塗られて捨ててあった。
血沼の益荒男は旅人に借りた刀で怨みを晴らしたというわけ。
ウナイオトメのためにオシドリを射ることを語らず、二人の亡者の確執を語るアイ語り。
ここから明生は二人が単にオトメ恋しさの後追い心中ではなかったと推察する。
ウナイオトメだけでなく二人の男が俄然脚光を浴びる。
苦しみの脚光だが。
大蔵流の語りを和泉流の万蔵がどういう経緯で語る(かなり省略していた?)に至ったのか、明生師の”どや顔”が目に見えるようだ。
あながち詞章でカンニングしているせいばかりではなかろう、一つひとつの言葉をわかりやすく、現代劇のようにメリハリをつけ表情豊かに謡う。
こんどはシエイクスピア劇を感じた。
八大地獄の数々の苦しみを経て、少し和らぐ時が来るかと思うと、あたり一帯が暗闇となる。
今は火宅に帰らんと ありつる栖はいづくぞと あなたを尋ね こなたを求塚 いづくやらんと求め求めて辿り行けば 求め得たりや求塚の 草の蔭野の露消えて 草の蔭野の露消え消えと 亡者の形は失せにけり前回もそう書いたが、終わって今朝になると又観たくなる。
失せた亡者を見届けたい。
気取って言うのではなく、感興をそぐこと甚だしい。
俺はクラシックのわれ先勝ちの「ブラヴォー!」が大嫌いだ。
あれ一発でそれまでの感動が消えるような気がする。
佐平次さんの日記を読んだら「やっぱり千駄ヶ谷だったかなァ~~」と思ってしまいましたよ・・・
分身の術を使わないと両方はみられません^^。
とはいえ最近はクラシックのコンサートやこういう催しにtと縁がない私ではありますけれども。(学生時代にはアルバイトしてでも行ったものでしたが)
あのブラヴォ―野郎たちは音楽をフアッションとしてしか聞けない連中だと思います。
倉敷も芸術の都市、いろんな催しがあるのでは^^。