「求塚」の女は決められない女? 粟谷能の会・能楽鑑賞講座
2012年 10月 11日
秋は掃除の季節か。
午後、北参道の国立能楽堂・大教室で粟谷能の会、能楽鑑賞講座へ。
土曜日にやる「求塚」の予習、入場料1000円だけれど切符を買った人は無料、今までも参加してつまらなかったことがない。
莵内処女(うないおとめ)に同日同時に同文の恋文を送ったという二人の男、摂津(地元)と和泉(遠隔)の出身がウナイオトメに送ったのは単なる恋文ではなく、地元の意向を請けた政略結婚の申し込みではなかったか。
ウナイオトメは美女というだけではなく霊力とか財力をもった姫だったのではないか。
オシドリに射当てた者を夫にしようと言ったのは姫の考えではなく「やっぱり強い人がいいよ」と指示した親がいたのだろう。
”決められない女、決めようとして決められない環境にいた女”
それがウナイオトメだったのでは。
彼女にあっては生きている間も地獄に住むような苦しさがあったのではないか。
能の詞章では語られないことを口語で語るアイ狂言の面白さ(能で眠ってしまってもアイを聞けば分かるし)
。この曲では大蔵流・山本東次郎のみがふたりの男が死んだ後、墓から出ては何度も殺し合うという後日談が語られる。
二人がオトメの墓前で刺し違えて死ぬのは、恋に破れた者同士の後追い自殺かと思っていたが、そうではなくて「お前が悪い」「何を、お前なんかいなければよかったのだ」と責めあった挙句の相討ちではないかと明生師。
明るい冒頭の若菜摘みの場面が一転オトメの亡霊の哀しい物語に変わり、中入り後は凄まじくも悲しい地獄めぐりの実演となる。
この曲が出来たころ、世の人々は死体がごろごろあるような、地獄絵図の世界に生きていたから、この噺もリアリティがあったはずだという。
それぞれに応じた装束や面を家伝にあるものをそのまま使わず、明生師独特の工夫を凝らす話。
さあ、どっちを使うか?
実演コーナーは「かづら付」、馬の尻尾の毛を演者の顔立ちや着ける面、配役に合わせて巧みにかづらとしてしまう。
老いた痩女と若い痩女の足運びの違い。
「足上頭下」、さかさまになって地獄に落ちていく様子を中啓(扇子)をひっくり返して下におろす僅かな動きで表現する。
そのとき、サッとスピーデイにやるのと、ゆっくりおろしていくのと二様のやりかたがある。
こんど明生師は、両方を取り入れてやってみようという。
舞台上である個所からある個所へ2~5歩(そのときにより異なる)で移動する。
それを単に”移動”と観ずに、その間に時間が経過し人物たちの思いが動いていることを感じて欲しい。
能は詞章をみながら鑑賞するのは邪道だという人もいるけれど、やはり能楽師ですらわかりにくい言葉をちゃんとわかって観ている方がいいと思う。
予習、復習はなおよい。
俺もそう思う。
1時間半ほど、贅沢な勉強をさせてもらった。
土曜日の本番が楽しみ。
ところで、このクリーニング受付&引き渡しマシーンに吃驚です。日本にはこんなものまであるんですか! トイレのきれいさといい、食品売り場の清潔感といい、こちらでは絶対に拝めない光景です。ほんと、別世界の写真みたいですよ。
幽霊の出てくる曲目はすべて執心というわけでもないのですね。
昨夜の朝日にも明生師の「求塚」公演のことが載っていました。
父親の菊生・7回忌追善公演なんです。
父の追善に能夫が「歌占」、明生が「求塚」、どちら故人が好きだったとはいえ地獄がリアルに描かれる曲目を選ぶのも面白いです。
コンビニの進化?私も初めて目撃しました、やはり隠居も出歩きゃなきゃいかん^^。
それをまたお福分けいただく、こちらは嬉しい限りです。