立川流は寄席でやれるか
2012年 04月 26日
生前の談志と川戸貞吉の対談で、どちらかというと川戸が積極的に寄席不要論をぶつのに対して、ややしぶしぶとという感もある談志の不要論が紹介されている。
ながらく寄席に出なかったらどうも調子が出ません。いけませんね。寄席ってやつは毎日でてなきゃペースがつかめません。そういうことがよくわかった。と語っているのだ。
これからほかのことはやめて落語一本に絞ってみよう。少し生活程度を落とせばいいのですから、、。
昭和38年に真打になった談志が落語協会を飛び出して立川流をたてて寄席と縁を切ったのは昭和58年だ。
その年に談志門下に入ったのが志の輔、その「井戸の茶碗」を聴いた。
正直清兵衛が突然外国人になったようなヘンテコな会話をしたり、さいごに千代田卜斎に「自分で届けろ、高木殿との間に入って苦労している私の身にもなってくれ」などという。
結構笑いがとれていたし、隣に座った人などは、しきりに「うまいねえ、面白いねえ」と感心していた。
その前に小満んが「奈良名所」をやったときは「もっと面白い落語を聴きたいね」とも。
「あの噺はあんな噺じゃないよね」「あれは落語とは言わないんじゃないか」、、理屈ではなくて、そう感じたのだ。
俺は先日談春の「居残り佐平次」を聴いたときも今度志の輔を聴いたときも同じ感想をもった。
疲れた!必然性もなく演者が”これをしゃべれば受けるだろう”と思いついたことをべらべらと喋る、みっちりと、こってりと。
どうだ!面白いだろう、シャレてるだろう?!と。
たしかに笑いは取れる。
だがそれは腋の下をくすぐられるような笑いだ。
なんで清兵衛さんが外国人みたいなセリフを言わなきゃならない?
そうして一回、百万円からのギャラを手にする。
落語というのは顔のむけ方、扇子の使い方、仕草を寄席の大きさの客席からみてちょうどいいようにでき上がっている。
大きすぎる舞台、大きすぎる会場にはなじまない。
しかも寄席というのは次から次に登場する演者と少数の客が共同で空気を盛りあげていって最後に出てくるトリに花をもたせる。
いくら芸達者でもその流れを壊すようでは失格だ。
時間の調節、演目の調整などはイロハ、ときにはわざと地味な演出にして笑いを少なくする名人達者もいたくらいだ。
大きなホールで自分だけを目当てに来てくれる客に満足してもらうためには、沈黙は敵なのではないか。
のべつ幕なしにギャグを連発して笑いを途絶えさせないようにしていないと演者は不安なのではないか。
そういう芸を好む客が取りがてなチケットをもって来場すると、客もちょっとでも余計に笑って帰りたいのではないだろうか。
小満んのような動きも少なく、よく聴いていないと聞き逃してしまうような地味な(しかし粋な)クスグリしかやらない落語家はお呼びじゃない。
大声で笑い続けていたり、いちいち拍手なんかしていたら肝心のセリフが聞こえないから、会場は静かな短い笑いしか起きないのだから。
ただ志の輔や談春が今のやり方で寄席に出てきたら、その日の寄席はつまらないと思う客は多いと思う。
他の演者もけして喜ばないのではないだろうか。
上の談志の発言、ほめ・くさん引用の記事での川戸発言に戻る。
考えてみれば談志は寄席で鍛えられて寄席を飛び出したのに、その弟子たち、志の輔や談春は寄席経験がないまま育ったのだから、彼らにとって寄席が必要かいなかというよりも、柔軟に対応できる若い人以外はもはや寄席ではやれないのではなかろうか。
落語研究会の様子はまた明日。
立川流を担いでいる周辺の人間が彼らをダメにしているのだと思います。周囲を信者で固めていると、なかなか気付かないんでしょうね。
舞台に顔を出すと、太鼓持ちのような照れたような笑顔でニカッと笑い、座布団に座り深々と頭を下げた後は、腕組みにしかめっつらで「まあ、なんだね」と斜に構えて世相を語る漫談をして、噺はほとんどしないまま、袖に下がるという高座でした。
まだ神格化される前だったけれど、格好良くて、随分真似してました。
その後の談志を聞かなくなったのが良かったのか悪かったのか、いまだにわからないままです。
彼らも何か感じてはいるのでしょうがね。
「ホール落語」だけじゃねえ・・・