俺はいったいどんな読み方をしてきたのか 渡辺京二「娘への読書案内」
2012年 04月 06日
河出書房、すでに新社になっていたか、緑色の装丁が素敵だった。
毎月配本になったのを本屋が配達してくれる。
読んだ覚えがあるのは「戦争と平和」「風と共に去りぬ」「罪と罰」「赤と黒」、、あとはどんな本があったか思い出せない。
そういえば全集は母が持って歩いたと思う(俺は独身寮暮らしが続いた)が今はどこにあるのだろう。
この本は娘Rへの手紙の形で裏表紙にこう書いてある本書は同時に渡辺京二の人間形成・人間・世界理解の物語でもある。
現代の若い読者のために書いた
世界の文学への一つの案内である
あったこともないが、渡辺京二に頭が上がらない俺には見逃せない本だ。
文学というものを、人間が人間として形成されるうえで非常に大切な働きをするもの、あえていえば不可欠のものとして考えていたひとりまえの娘の親となった今は、もう文学をそんなものとしては考えていないと渡辺、俺もかつて文学を語らずしていっぱしの人間と言えるかの思いもあったのだ。
しかし同じような思いを抱いてもその実情は月とスッポン、雲泥の差がある。
俺は「教養としての文学」、ブランド物のファッションに憧れる女性と変わるところのない、ミーハー的な文学志向だった。
たとえば、スタンダール『パルムの僧院』は「情熱によって行動する人間の気高さ」、トルストイ『戦争と平和』は「歴史を巨大な日常として」、シリトー『屑屋の娘』は「庶民のなかの”生”の瞬間」、マードック『切られた首』は「現代人の愛の荒野』、ソルジェニーツィン『マトリョーナの家』は「権力は民衆の日常を奪えない」、カルペンティエール『失われた足跡』は「高度の都市文明への問いかけ」、、
北一輝を語り、失われた江戸時代を懐かしみ、平気で木を切ってしまう現代人のありようを嘆き、水俣病を闘い、人類史を説く渡辺の問題意識が見事に反映しているような気がする。
一度だけ読んだ「戦争と平和」について渡辺は
R・・・、私はこれで、この小説を五回読んだ。死ぬまで、あと一度は読みたいと思っている。この小説は、いわば人類史の奇蹟だと思う。人類は二度とこんな小説を生むことはあるまい。と語っている。
サテどうする?お前は、佐平次よ?
朝日文庫
その頃は挿絵しか見なかった。
怒りの葡萄ははいっていないのかな?
わたしは人によって物語の表情は違うもの、成長に応じて変わるところがいい、と思っているので、ここまで解説されちゃうのは微妙かなあ、、。
自分の成長にあわせて古典を読み解く楽しみってあると思うの。
うちにもありましたよ、世界文学全集。
紅い表紙で文字組みが小さくて読みにくかった!
中学生のときにそこから嵐が丘を読みましたよ〜意味不明でした^^
しかし他人の、とくに尊敬している人の読み方にも興味があります。
怒りの葡萄は入ってなかったです。
文字の小さい大人の本を読むのってわくわくしましたよ、今じゃ閉口ですが。
さて「戦争と平和」にするか「神聖喜劇」にするか、どっちも読まないんじゃしょうがないですね^^。
最近の世界文学全集に「苦界浄土」が入っているということを聞いた覚えがあります。
世界文学全集を揃えたお母様は素敵ですね!
きっとsaheiziさんに必要だと思って揃えてたのでしょうね。
はやいうちから色々な本に出会うことってとても大切なことなのでしょうね!
私は出会っていない本ばかりです。
出会っていない世界があるととてもワクワクします^^
最後の月夜のお花の写真がとても綺麗です~春はいろいろな命がうまれる素敵な季節ですね^^
いままで一人で頑張ってきましたがようやく桜に後を譲って散っていきます。
戦争と平和は読みたいです。
本を読むのは大好きだけど、なぜかこの古典とも呼ばれる作品が苦手で
読んでない本がたくさんあるし、きっとこれからも読まないと思うけど...苦笑
読書って人間形成に非常に重要な作業であると思っています
少なくとも、私の形成には非常に役立っています
↑のおでんに 言葉なく ただ涎のみあふるる... 字あまり
私はトイレ(水洗じゃない)の匂いすら思い出しますよ^^。
悩み、苦しみ、歓び、疑問、、そういうものがあって初めて古典はこたえてくれるのだと。
このおでん屋は関東、関西、名古屋の三つの味を別々に出してくれるのですよ。