田園を! 3.11一年後に
2012年 03月 11日
その晩、弘前市内のホテルに泊まったときも停電の一夜をある種の冒険のように思っていた。
なにしろ津波被害の全貌らしきものが感じられたのはその晩停電が直った友人の家でテレビをじっくり見たときだったから。
そのときも「明日は東北新幹線も開通しそうですが、無理しないで場合によっては日本海を回って帰ります」などと書いている。
JRの人たちに訊いてもどの程度のダメージがあったのかは分からなかった。
日本の一番美しい田園が失われてしまったとは夢にも思わなかった。
今朝はテレビも新聞も3.11一色。
飯館の村長が必死になって村を甦らせようとする、その横顔を見ていると涙が出てくる。
疲労、徒労感、無力感、孤独を支えているのは使命感と村に対する愛情だろう。
田園を返して欲しい!
美しい心の人々が、どうかもう一度美しい田園に住むことが出来ますように!
367日前ははるかはるか昔ですが。
この一年間私はものすごくあわててた。どうしようどうしようって。
そしてすごく悲しくなった。怒りにもなった。そしてまだ悲しい。
私もいまだに心の安定が得られません。
老化と重なっているのでしょうが。
行方不明の方、そのご家族、色々な思いを噛み締める1日です。
今日はサンシャインの中で黙祷でした。
決定的な映像を流さないで、感動的な話、ちょっといい話で問題の本質をぼかす。メディアに、政府・東電の情報隠蔽を追認しているとすら思えます。
家族を亡くした方の笑顔が辛いです。
あの日saheiziさんは青森にいらしたのですね。
冬の青森はさぞや寒かったことと思います。
ホテルのスタッフの方のおにぎりのお写真を拝見してとても温かい気持ちになりました。
怪我などされず無事に帰ることができてなによりです。
きっと今日のことを忘れてしまいたい人はたくさんいると思います。忘れられたらどんなに楽だろうと・・・そういう方々の想いを感じるととても辛いですね。
saheiziさんや周りのみなさんがこれからも無事にすごせるようにお祈りしております。
彼が車で来てくれたから移動も出来て命拾いしましら。
あのホテルの女の子、いまごろどうしてるかな^^。
仙台の駅がひどかったようでしたのでお帰りもたいへんでしたね。
3・11は世界中の人たちが福島 岩手 宮城 のために、心が一つになったのでした。心からありがたく思っております。
けして惨事を忘れることなく、声をあげ続けていき来ますので、よろしく見守ってください。