もぐら泥だけはやるもんじゃないなあ 第40回らくだ亭@日本橋劇場
2012年 02月 22日
またカテーテル検査をしますか、といわれれば尻込みしちゃうもの。
先生もぜひやれと言わないのはその程度との診立てがあるのだろう。
帰って読書、「天地明察」一気に読み終える。
爽快な小説だ。
そろそろ無くなりそうな「無添加・減塩梅干し」を買って、ひさしぶりに金碇庵で「カキガラ蕎麦」、ぷっくりした牡蠣がうまい。
前座半輔「初天神」
時間に合わせて省略編でやった。
花助「薬ちがい」
助六の弟子、初めて拝見、ネタもあまり聞かない噺。
いっちょう前だと思うのだが、、どこが物足らないのかよくわからないが、ものたらない。
二つ目なんだから、という物足らなさとは違う物足らなさ。
喜多八「もぐら泥」
先日 博品館で聴いたときより痩せたような気がする。
噺はすばらしかった。
だいたいこの人は間抜けな泥棒をやらせたら天下一品なのだが、今日のもぐら泥はそのなかでも屈指の出来だった。
昼間、あたりをつけておいた家に忍び込むのに敷居の下に穴を掘って腕を突っ込み掛け金を外す”もぐら”泥。穴を掘る前にあたりを見回す仕草と顔が、俺は間抜けですよ~と言わんばかり、寸法を間違えて腕を穴に突っ込んだまま焦りまくる、店の主人に見つかって腕を縛り上げられて痛いのなんの、懇願したり、恫喝したり、謝ったり、犬にションベンかけられ、酔っ払いにくすぐられ、挙句の果てに財布を持って行かれる。
その変化が可笑しく、一抹の哀れさも漂わせ、落語の楽しさここに極まれりだ。
冬の夜の町、道に寝転がるようにして苦しむ泥棒のイメージが”リアル”に浮かんで漫画みたいな情景なのだ。
痩せているのが一時的なものであってほしい。
志ん輔「小言幸兵衛」
冒頭、長屋の中を小言を言って歩くところでもう一つわっと来ない。
俺の好みはもっと軽く、ほんとは人のいい大家が朝の儀式みたいに小言を言って歩くというような感じ。
あまりマジにやるとウザイ、嫌われ者の大家になっちまう。
その謹厳頑固大家が、仕立て屋が来て、ひとり息子のことを聞いて、息子と古着屋のお花坊の心中への一本道を妄想して語る段になったら、俄然ぶっ飛んだ大家になって
二枚目はゆるせな~い!と絶叫、マクラでしゃべった小さんの”言葉にならない小言”、茹蛸のように真っ赤になって「ふ~っふ~っ」と唸るのをここで実演。
このあたりは志ん輔、壁を破ろうと一生懸命なのを感じた。
破天荒なところと生真面目なところ、その両面を備える志ん輔、それを活かせたら、ぐっと大きくなるんとちゃうやろか。
中入り後、一朝「三枚起請」
「やらせてください」と断って「イッチョウ懸命やります」。
それだけでゆったりといい気分になってくる。
一朝の湯に入る呪文みたいなものだ。
快いリズム、滑稽なセリフまわし、人物の描き分け、自然な笑い、抜群の安定感。
この人も毎週でも聴きたい人だ。
Kさん、Iさんと会ったので居残り分科会。
ふっと思いついてさっき蕎麦を食った金碇庵へ。
蕎麦を食いながら夜の居酒屋メニューを見て、いい店だと思いながらも実際に夜入るのは初めてだった。
質量ともに満足、勘定してさらに満足、話にはもとより大満足して帰宅せり。
美味しいものばかり召しあがって
そりゃ~不整脈も起こるのではないですか?
かといって、家で静かに。と言っても
ご無理でしょうし、、ね。
「天地明察」はだいぶ前に読みました。若さが味わえてすがすがしかったな。これ、映画化されるんでしたっけ?
おめでとうございます^^。
自分では両親への感謝の日にしています。
両親がいなかったら今ここに存在する奇跡は無いから。
又新たな一年、ちょっとの不整脈を道連れに、サンチと散歩で元気同盟をお祈りしています^^♪
初めて一緒に食べた人が亡くなったのです、私よりもずいぶん若いのに、それで好きだけれど哀しい魚。
落語は薬です^^。
ときどき涙が出るくらい気持ちの良い小説でした。
ありがたいのか、、まあ、ありがたいと思いましょう。
そのうち行き会えるといいですね。
先日は個展にお越しくださり、こちらで紹介もしていただいて
ありがとうございました。
初めての場所で疲労困憊でお礼が遅くなりました。。。
何か月も煮詰まった気持ちで過ごしたので
寄席にでもいって大笑いしたいです☆
計画しましょう^^。