やはり年賀状を書こう 住所録の整理が大変だけど
2011年 12月 02日
外にデータを取り出せないのだ(無知なる所以かも)。
今年いただいた年賀状をダンシャリしてなかったのを幸いにこれを元に一人づつ入力し直し。
バカな作業ですっかり時間の無駄、図書館の本も読めない始末。
数年前までは毎年これだけの人に手書きで年賀状を書いていたと思うと我ながら尊敬したくなるほどだ。
だが悪いことばかりじゃなかった。
年賀状は着いたときにさっと読むばかりでなにが書いてあったかなどすっかり忘れてしまっているから、こんな機会に読みなおすといろんな発見がある。
心のこもった言葉などを読みなおすと、俺はいつもこういう言葉をないがしろにして来たんだと手遅れの反省もする。
「今年もまたお会いしたいものです」と書いてくれた男がそのあと死んでしまった。
「今年こそ元気になります」と書いてよこした女性も。
どちらも俺より年下なのに。
俺はしょっちゅう会っている人とは年賀状のやりとりをしないから、500人あまりの年賀状の内去年会えた人は何人もいない。
毎年「久しぶりに一杯やらないか」とか「今年こそ会いたいものです」などと書いたり書かれたりしながら、果たされないままに歳月が流れてしまった。
若いころは遠く離れている人ともすぐに又会えるだろうと思っていた。
だってあんなにも親しくしていた人たちだもの。
それが、、いつのまにか何年も会わずにいて、、もう会うことはないだろう。
それでも現役だったら何かの弾みに会うこともある。
隠居となると、ましてやこの一二年、意識的にいろんな定期的な会合から遠ざかるようにしていると、最近まで会っていた近くにいる人ともこれからは会うこともないかもしれない。
「もういくつ寝るとお正月」、母も揃って家にいる正月を楽しみにして、僅か数枚の年賀状を一生懸命に書いていたあの頃から半世紀以上が過ぎて、いろいろと考えながらの住所録の整理だ。
なかなかだ、
今回の年賀状はやはりいろいろ考えています。
手書きで書こうかなとも考えております。
私もね、手書きのクリスマス&年賀状出し始めて、もう10年以上
毎年止めようと思うけど、なんかやめられなくて 続いてますが...
お手紙のやり取りの中だけでつながってるご縁っていうものも
大切につないでおきたいと思う故かもしれません
会えるのなら、そっちのがいいのでしょうが...
ただし、ボールペンですが・・・。
PCが不安定になったときは、PCから異音がしない限り、おそらく「メモリーRAM」が往生の時期を迎えたのかも・・・?
小生もその件で「無事に正月・・・?」と観念しかけましたが、思い切ってPCの裏蓋をこじ開け、この部品交換(部品代:約数千円)をしたところ、バッチグーでした由。
また、「筆まめ」の記録は、「マイドキュメント」の内容にファイルごと収納されているはずなので、CDなどに転写して保存すれば、バッチグーかと・・・?
こんなときだからこそ書かなきゃという気持ちと、書く端から感じる言葉の虚さと、両方を抱えています。
がんばります。
なんとか書こうかと、、。