野守の鬼よ現れよ 国立能楽堂・定例公演「酒講式」「野守」
2011年 12月 01日
家からバスを乗り継いで行っても(交通費節約)1時間もかからないところなのにアタフタする。
老僧(シテ・野村萬)が酔っては手習いの子供を打擲するという。
親(アド・野村万蔵)が意見しに行く。
素面じゃほんとのことを言うまいからと手土産に大きなフクベをぶら下げて。
フクベを見た途端、僧の顔が変わる。
飲酒戒があると言いつつもお持たせの酒を注がせてぐびぐび。
一杯一杯また一杯、呑むたびに幸せ一杯また一杯。
呆れた親が見所に向かってひとりごと
さらばこそ、噂にたがわぬ大酒飲みじゃ脇席の俺に向かって言ってるような、目があったような気がする。
すみません、と思わず謝りたくなる。
極寒、極熱、酒こそがその苦しみを和らげてくれる、、謡い、よろよろと舞う。
先日来、見ている落語の「一人酒盛」の狂言版だ。
ええい、酒を飲むいいわけじゃ、、怒って帰る親の後ろ姿に向かって
もう、こんなところに子供を来させるもんか!
やいやいやいやいやあ~い!フクベをひっくり返して掌に最後の一滴を注ぎ舐め、なあ~んとも旨そうな顔をして
子供はこまいでも、、
また、今日のようなおもたせを、、ちょうだい、、、(つぶやくように)ちょうだい酒は功徳があるんだから酒飲みを
憎まず酒をのますべし繰り返し繰り返し、橋掛りを歩いて幕にはいってからも
よくよく聴聞したまへ
は~はっはっはっはっ!大きな笑い声が聞こえる。
萬さん、かわいい酔っ払い。
能「野守」
前半、あまりに気持ち良くてウトウト、なんで能ってこんなに快いのだろう。
里人(アイ・山下浩一郎)が野守の鏡の由来を「春日野の水」「野守の鬼がもって歩く鏡」の二説ある、などと説明するあたりからしゃっきり。
山伏(ワキ・森常好)が数珠をじゃらじゃら言わせて祈っていると塚から
有難や天地を動かし鬼神を感ぜしめとか言いながら、赤い髪の鬼(シテ・粟谷能夫)が大きな鏡を手にして出てくる。
鏡には鬼の恐ろしい目の光も映るが、仏法の守護神たちも映り、天頂も映る。
鬼は勇壮に舞いながら鏡の力を山伏に見せる。
そして大地を見ると一番深いところに地獄道、そこには罪人たちが鉄棒で打たれて罰を受けている有様がみな見える。
すはや地獄に帰るぞとて。大地をかっぱと。踏み鳴らし。大地をかっぱと。踏み破って。奈落の底にぞ。入りにける。地謡(友枝昭世ほか)の声に合わせてトントンと足踏みをして、橋掛りを消えて行く鬼。
頼むから今の世にも現れてかっぱかっぱと踏み鳴らし、悪い奴バラから守っておくれでないかい。
鏡を見るまでもないだろうに。
鏡と云えば落語「松山鏡」は鏡が親孝行な息子に亡き親を見せてやるんだった。
酔っ払いの舞と笑い、鬼の豪気な舞、どっちも良かった。
笛・一噌隆之 小鼓・観世新九郎 大鼓・亀井広忠 太鼓・小寺佐七
一度はみてみたいなあ、、
国立能楽堂の定例会は料金も安いし内容もいいですよ。
一人酒?講釈いっぱいしたかったのでは?