忠三郎のいない「忠三郎狂言会」 良暢「釣狐」「舟船」
2011年 11月 14日
東日本の大災害、行政の乱脈、自然も人事も未曾有の不整合な情勢下、皆々さま恙なくお過ごしでございますか。そして、忠三郎は8月に亡くなった。
また、ひととせ回って、恒例の忠三郎狂言会の季節となりました。本年は、良暢が四歳にて初舞台を勤めましてより、二十五年目に当たりますので、鞭撻の意をもちまして、最奥の「釣狐」を再演いたさせます。当然、拓きとは異なった舞台が要求されることとなりましょう。本人も懸命精進いたしております。
享年83。
なんども観たわけではないが大らかで品のある舞台が好きだった。
だからこの会の切符を、それも正面席を張りこんだのに。
父が亡くなる少し前に『どうや、先代の芸に追いつけたか?』と尋ねたところ、病床の父は『あかんかったなぁ。』と天井を見ながら応えました。その言葉が私の狂言の血を沢山の意味で沸々と煮えたぎらせます。今年は《釣狐》の年、真面目に忠三郎家の芸風を受け継ぐ覚悟の表われとご覧頂ければ幸いでございます。しかし、父の最後の代役はどうしても自分が勤めたい。
そして父の《舟船》の代役でございますが、《釣狐》という秘曲、大曲を控えている身と致しましては二役を演じるという行為が《釣狐》という曲を軽くしてしまうのではないかと散々悩みました。
父より受け継いだ色に私の色を加えて代勤させて頂きたく存じております。暗いことを好まなかった父のために演目を変えない。
父は今頃先代や戦死した兄、千之丞先生などとドンチャン騒ぎをしているに違いない、と。
そして最後に
忘れないで下さい!八月二十日は私の誕生日であり父の命日。と結んでいる。
『誕生日のお供え』お待ちしております!
いかにも忠三郎の血を引いた大らか・豪気な若者と言う感じが読みとれる良暢・29歳の文章、舞台もその性格のまま若々しく“若大将”の「主」(「舟船」)。
「釣狐」はあの狐の「ウワオ~」という叫び声が今も耳に残っている。
あれはどこかで見ている父・忠三郎に向って吠えていたのか。
そういえば吠えた後「く~んくん」と首を振りながら甘えた声も出していたなあ。
老狐というより血気盛んな狐とみえたのはご愛敬、なかなか良かったよ。
がんばれ!若者!
パンフレットの面は「伯蔵主(はくぞうす)」。
老狐が若い狐たちが次々と釣られるのを食い止めるべく、猟師の叔父・伯蔵主に化けて不殺生戒の説諭に出かける。
猟師は「釣るほどに釣るほどに」、釣りたくなり、狐は罠と判っていてもネズミの油揚げの魅力に抗しがたい。
欲望と欲望がカラカラクルリと廻る因果のこの世界。
さて、猟師が勝つか、狐が勝つか?
他に
素囃子「養老 水波之伝」
笛・藤田貴寛 小鼓・大倉源次郎 大鼓・大倉慶之助 太鼓・林雄一郎
狂言「三本柱」
果報者・大蔵彌太郎 太郎冠者・大蔵吉次郎 次郎冠者・善竹富太郎 三郎冠者・大蔵教義
狂言「舟船」
太郎冠者・善竹十郎 主・茂山忠三郎・代勤・茂山良暢
狂言「釣狐」
伯蔵主・狐・茂山良暢 猟師・大蔵千太郎
11月11日 国立能楽堂
とんてんぽん、フランスでは食べられないかな。家庭料理みたいなものでしょうね。