悔恨とともに思いだす亡妻と過ごした最後の日々 津村節子「紅梅」

劇的週間は続いて”シェイクスピアに魅せられて”第4弾もあるのだが、ちょっと趣きを変えて合間に読んだ本のことも書いとかないと忘れちまう。

社会人を引退する頃になって吉村昭の良さがわかってきた。
このブログでも、見事すぎる死 吉村昭「死顔」とか抑制・謙虚・情熱・信念 吉村昭「わたしの普段着」などを始め何回か彼の作品を紹介する記事を書いた。
妻・津村節子がラジオで「紅梅」を読んでいるのを聞いた話も書いた(「大雨のこと、ふるさと喪失のこと、吉村昭の死に方のこと」)。
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その「紅梅」をようやく手にできた。
読むのが惜しいような気持で、それでもあっという間に読んでしまう。
吉村昭が舌癌の診断をうけ放射線治療を始めること、治療中にすい臓がんが発見されること。
そんなひどいことになるはずがないと思う妻(「育子」となっている)の気持ちを裏切るように事態はどんどん悪化していく。
その経緯を作家らしく鋭い目で観察しそれを見守る自身の気持ち、夫の気持ちも簡潔にしかもあますところなく書く。

”読むのが惜しいような気持”と書いたのは文章が秀逸であることにもよるが、随所で癌で逝った亡き妻との闘病・敗戦のことが思い出されたからだ。
医師のひと言、話す顔つきに一喜一憂(一喜の方はほとんどなかったけれど)して、訊きたいことは山ほどあるのにいざとなると聞きそびれて会社から医師に電話してみたりしたあの頃。
看病の間に二人で生きてきた人生のことなどがよぎったりして、なんだ縁起でもない、元気になるであろうと無理やり思いこもうとしてみたり。

石原裕次郎が亡くなったときになんとか言う女優だった奥さんが裕次郎の便を両手に受けたという記事を読んで「へ~すげえな」と思ったが、いざ俺のことになったら妻の尻に指を突っ込んで固くなった便をかきだすのを自然にやっていた。
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吉村が最後まで書いていた日記を読み「育子、寝ているうちに帰る」とあるのを、目が覚めたとき自分が傍にいなかったことをどれだけ淋しかっただろうと思うと
胸を鋭利な刃物で刺されたような気がした
普段は夫の日記(天候とその日の出来事しか書いてない)を自分の小説や日記の資料として借りて読むことがよくあったのに、なぜか枕元の日記は心情が書いてあるかもしれないと思って読むのを遠慮したのだ。
どうして読んで隣のベッドにいてあげなかったかと
乱れた文字の日記を読んだ時の取り返しのつかない後悔から、生涯救われることはない、
と思うのだ。

なんにちもほとんど眠らずに看病しているとどうしようもなく眠くなって、「すまぬ済まぬ」と思いながら5分でも目をつぶっていたいときが俺もあった。
見かねて子供たちや妻がちょっと家に帰って寝てきたらと言ったことがある。
じゃあ、と帰宅してみると掃除の行き届かない家に俺の布団ばかりが洗濯したてのシーツを敷いてあった。
だが横になっても頭が冴えていくらがんばっても眠れない。
エイっとばかり起き上がって病院に戻るとみんな「もう?」という顔、つい「眠れなかった」と言ってしまったときに、妻が「あ~あ」とがっかりした顔が今でもときどき思い出される。
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(来たあ!)
吉村が舌癌になって発泡するからといけないと言われてやめていたのに死の近くになってビールを所望、吸い口から喉を鳴らして飲んで「うまいなあ」と満足そうにいうのが嬉しかったとある。
妻も、朝車いすの散歩で気分が晴れたときなど後ろの俺に手招きをするから、耳を近づけると「今日も飲もうね」とささやいた。
枕元で食事をしていて始めは遠慮していたのに、つい意地汚く缶ビールを飲んでいると手真似で私にも少しと催促するから雀の乾杯みたいなことをしたら実にうまそうな顔をした。
なんだかこのまま治ってしまう、とそこまでは思わぬもののこういう“平和な”一瞬がいつまでも続くような気がした(不眠による幻想か)。
それからときどき二人の酒盛りがあった。
回診の山崎先生が「お、やってますね」と笑ったこともある。

吉村昭の衝撃的な最後に対して育子は痛烈な悔恨の情を明らかにする。
しかし、俺が亡妻にすまないと思うことから見たら育子の看取りは完璧だ。
吉村の死に方も、いや生き方が。
亡妻も完璧だったが俺の方は後悔ばかりである。
生き方も看取りも。

文藝春秋

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Commented by tona at 2011-10-09 14:39 x
私はあと20人待ち、来年になってしまいます。
佐平次さんと奥さんのことを思いながら読むでしょう。
26年前、父の場合は告知しなかったので本人を慰めたり励ましたりするのが辛かったです。
Commented by rengesou009 at 2011-10-09 17:43
奥様とsaheiziさんの物語に深く感じる所があります。
Commented by みい at 2011-10-09 21:55 x
この記事読ませていただくだけで、切なくなります・・・。
Commented by saheizi-inokori at 2011-10-09 23:06
tona さん、せっかく読むのに変な先入観をすみません。
Commented by saheizi-inokori at 2011-10-09 23:08
rengesouさん、たいした話ではないけれど本人にとっては忘れられないのですね。
Commented by saheizi-inokori at 2011-10-09 23:09
みいさん、いずれ誰でも通る道です。
Commented by mama at 2011-10-09 23:20 x
数年前、父と義兄をガンで続けて亡くした直後に夫のガンが見つかりました。ぐらぐらと足元が揺れるような思いの中、泣きながら必死に闘いました。幸い、夫は快復してくれましたが、「生」「死」についてかなり濃密な意識をもつようになりましたし、夫婦の縁の不思議さも考えます。『紅梅』のような本を読むと、自分たち(闘病を通じて知り合った仲間を含めて)を重ねてしまいます。
そっか・・・saheiziさんもなんだ・・・
Commented by saheizi-inokori at 2011-10-10 09:54
mama さん、私は参加してませんがホスピスで患者の遺族会が行われているのもむべなるかなと思います。
戦友のような気持が芽生えますね。
Commented by tonkoid at 2011-10-10 23:32
紅梅 まだ読んでいませんでした。早速読んでみます。図書館で待つようでしたら買ってでもよみたいです。
14年前の苦しかった気持ちわかってもらえるような気もします。
闘病記は貴重な情報源ですね。死に方を学びながら・・・
Commented by saheizi-inokori at 2011-10-11 09:58
tonkoidさん、まさに「わかってもらえたような」気がします。そして「死に方」も学びました。マネは出来そうもないけれども。
Commented by ほめ・く at 2011-10-11 18:16 x
読んでいて涙が出ました。家族との別れは辛い。
私の場合は両方の祖父母は生まれる前に亡くなっていて知りません。60歳の時に兄を亡くしましたが、その時点で両親兄弟、両方の叔父叔母全て亡くなっていましたので、所帯を持っていなければ天涯孤独の身になっていました。
兄の亡くなる前の3日間は24時間病院に泊り込み、看取りました。
最後の会話が、「7代目円蔵の高座は良かったよね」というと、兄は「そうだったな(もう声は出なかったので口の動きで)」と答えました。
最後の会話が落語のことなんて妙ですが、これも私ら兄弟らしかったのかなと今思います。
Commented by saheizi-inokori at 2011-10-11 20:59
ほめ・くさん、兄弟で落語を楽しんだのですね。
羨ましいような兄弟です。
そしてその最期もなかなか望むべくして難しい最期のように感じます。
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by saheizi-inokori | 2011-10-09 11:17 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(12)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori