児玉龍彦「内部被曝の真実」と武藤類子さんのスピーチ
2011年 10月 01日
「聞け!この叫びを 政府・国会の無策無為を叱咤する東大教授」と題して以前にも紹介した7・27衆議院厚生労働委員会における児玉教授の発言全文(説明資料も含め)とそのときの議員たちからの質疑応答、および8月6日放映の「ニュースにだまされるな!」にゲスト出演したときに、司会者(金子勝・中村うさぎ)や他の出演者から出た国会発言についての疑問・批判に対する答えが載っている。
今読みなおし、聴きなおしてみると児玉教授の怒りがどれほど国会に届いたのかとはなはだ不安になる。
閣議の冒頭には必ずこのYOUTUBEを見ることにしたらどうか。
さらに「チェルノブイリ原発事故から甲状腺がんの発症を学ぶーエビデンス探索20年の歴史と教訓」と「”チェルノブイリ膀胱炎”-長期のセシウム137低線量被曝の危険性」と題して、やや学問的に、被曝とがん発生の因果関係の立証には長い時間と膨大なデータが必要であること、そうしても因果関係があると学問的に認められるのは難しいこと、にもかかわらず現実にがんは発生しているのだから危険除去という考え方で除染やペクチンの予防投与をおこなう必要があること、低線量の放射能が大量に放出されたフクシマに対応できるように法律を改正すべきこと、損害賠償において被害者立証は不可能であるために国が全面賠償をすべきことなどが述べられる。
「おわりに 私はなぜ国会に行ったか」として、南相馬での稲わら汚染問題などを見聞するうちに
(政府やマスコミの議論が)局所での濃度の問題だけを述べており、福島原発事故の全体像を科学としてとらえることは何もされていない。、、、衆議院からの依頼に応えて国会に行こうと決心した経緯を語る。
専門家としての自分の考えをまとめ、明確にし、対策を話さねばならないと思い
児玉教授の考える専門家とは、たとえば津波のことでいえば津波の本質を把握し
沖合の波の高さではなく、波のエネルギーから、海岸沿いの施設を襲う波のリスクを正確に評価できる人であり
歴史上起こった津波の大きさや、世界で起こっている津波の大きさをよく知っていて、、本当の危機が顕在化する前にそれを防ぐ知恵を教える人でなければならないのだ。
そして
現実はこうだと考えて結果に手心を加えるということではなく
どんなに大変な事態であっても本質を正確に言わなければならない。専門家が本質論を言うことで、初めて専門家は信頼されるし、事態が回避されるのだ。
児玉教授が伝えたかった4つの提言とは
(1)最新の技術を駆使した食品検査を
(2)住宅の汚染を検査する”すぐやる課”を
(3)自分たちで緊急的除染をするときは土ぼこりに厳重注意を
(4)行政による長期的な除染は住民の同意のもとに
いずれも具体的なことだ。
それができるか、できなければ再び教授の喝だ。
幻冬舎新書
今日はもう一つ、
9・19 さようなら原発5万人集会での、ハイロアクション福島・武藤類子さんのスピーチ。
すでにkoroさんのまさかり半島日記などで披露されているけれどここにも載せます。
弟が、「問題の本質を極めて深く捉え、しかもわかりやすい言葉で語っています。世界中に広げたいメッセージだと思います」と、梟通信にも載せたらどうかとメールをくれたので。
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みなさんこんにちは。福島から参りました。
今日は、福島県内から、また、避難先から何台ものバスを連ねて、たくさんの仲間と一緒に参りました。初めて集会やデモに参加する人もたくさんいます。福島で起きた原発事故の悲しみを伝えよう、私たちこそが原発いらないの声をあげようと、声をかけ合いさそい合ってこの集会にやってきました。
はじめに申し上げたい事があります。
3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆる事に取り組んできたみなさんひとりひとりを、深く尊敬いたします。
それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、様々な支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございます。
そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子供たち、若い人々に、このような現実を作ってしまった世代として、心からあやまりたいと思います。本当にごめんなさい。
皆さん、福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を臨む浜通り。桃・梨・りんごと、くだものの宝庫中通り。猪苗代湖と磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂れる会津平野。そのむこうを深い山々がふちどっています。山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。
3.11・原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私たちはヒバクシャとなりました。
大混乱の中で、私たちには様々なことが起こりました。
すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人々が悩み悲しんだことでしょう。 毎日、毎日、否応無くせまられる決断。逃げる、逃げない?食べる、食べない?洗濯物を外に干す、干さない?子どもにマスクをさせる、させない?畑をたがやす、たがやさない?なにかに物申す、だまる?様々な苦渋の選択がありました。
そして、今。半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、
・真実は隠されるのだ
・国は国民を守らないのだ
・事故はいまだに終わらないのだ
・福島県民は核の実験材料にされるのだ
・ばくだいな放射性のゴミは残るのだ
・大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ
・私たちは棄てられたのだ
私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。
でも口をついて出てくる言葉は、「私たちをばかにするな」「私たちの命を奪うな」です。
福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。
・子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが・・・
・自分たちの未来を奪われまいと若い世代が・・・
・大量の被曝にさらされながら、事故処理にたずさわる原発従事者を助けようと、労働者たちが・・・
・土を汚された絶望の中から農民たちが・・・
・放射能によるあらたな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が・・・
・ひとりひとりの市民が・・・ 国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと声をあげています。
私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。
私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって生きていこうと思っています。私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに注目してください。政府交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発・放射能についての学び。そして、どこにでも出かけ、福島を語ります。今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。
もうひとつ、お話したいことがあります。
それは私たち自身の生き方・暮らし方です。 私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を、想像しなければなりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っている事に思いをはせなければなりません。原発はその向こうにあるのです。 人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。 私はこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。 ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。
どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。誰にも明確な答えはわかりません。できうることは、誰かが決めた事に従うのではなく、ひとりひとりが、本当に本当に本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。ひとりひとりにその力があることを思いだしましょう。
私たちは誰でも変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。 そして、つながること。原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横にひろがり、つながり続けていくことが、私たちの力です。
たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめあい、互いのつらさを聞きあいましょう。怒りと涙を許しあいましょう。今つないでいるその手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生き延びていきましょう。
数日前にヒルブラだかのtvを友の泊まるホテルで見た。
筑波山やった。で、驚いた。皆が山歩きニコニコ(心底か否かは?)
画面に映る。日本からの人は「そんなもんや」と何も言わない。
私は異次元に来た錯覚に捕われてた。ほんま、どないなってるん?
早速プリントしてたくさんの人に見ていただきたく思ってます。
収束もしていないのに原発再稼動なんて考えられません。
これからの徐染にも問題山積です。
私なりの行動は微々たるものですが
これからもたくさんの方がたに支えられ少しでも
前進していきたく思ってます。福島県民として
たくさんの心くばり感謝申し上げます。
武藤類子さんのスピーチ感動しました。
静かに始まったスピーチがだんだんと核心部分迫っていくお話ぶりは、事故に遭われてから長い日々を凝縮してとてもわかりやすいです。
初めに申し上げたいこととして3点お話されている点が、ただただ絶叫と違ってこのスピーチを輝かせていると感じました。
でも福島県が一番大変です。1日も早い収束を祈ります。
私が不思議でしょうがないのはね
政府にはもう何も期待してないし
欲や保身にかられた政治家や官僚がまだ原発をというのは、もう馬鹿の遠吠えと思ってるんだけど、それに反して、どうして国民が原発要らないのの元に一つになれない??
武藤さんの叫びとも言える言葉
鳥肌が立ちました
今日明日は絶好の稲刈り日和でしょうか。
花輪線沿線、岩手山近くの鉄道林にて毛代わり間近のカモシカに出会いました。
弘前から持ち帰りしリンゴを噛み味わいながら・・・。
今回のことは福島だけの問題ではなく、誰しもが「この国は私たちを守ってはくれないのだ・・」と、思い知りました。児玉先生の「国会は何をしているのですか」という、まっすぐな叫びは、結局今になっても届かないのですかね・・・
今から生活のやり直しができない人たち、私は彼らに同情します。
原発がよくないとわかっていてもそれに依存しなければ目の前の暮らしが立たない人たちに。
そういう人を大量に生み出してきた今までの日本のシステムを変えていくのは容易ではないと思います。
それこそ多くの人が心を一つにして取り組まないとできないことだと。
児玉さんのいうようにしたら底なし沼に足を突っ込むのではないかと。
原発を必要とする人たちの生活の問題を考えてあげることも政治の重要課題です。東電叩きをして国民の怒りの目を逸らそうとしていては何も進みませんね。
はずかしながらうまくできないので^^。
今もつい、140文字超えないか無意識に気にしています。
ちょうど今日、休眠していたブログを再開しました。私が3月に佐平次さんのブログにたどり着いて、いろいろ知って学んだように、誰かが知ってくれたらと思って。有益さに自信はないけど、お知らせしたいこと、言いたいこと、ありまして。今のところ、ツイッターをいくつかコピペしただけのブログで、うまくいくかどうか分かりません。
他の人のにはできるのになあ。