“犯罪”とは? フェルディナント・フォン・シーラッハ「犯罪」
2011年 08月 22日
現代人と違って彼は誓いを守る男だった。
愛すと誓ったし捨てないと誓ったけれど、共に暮らしていくことには耐えられない。
ひどい女なのだ。
彼はどうする。
それが冒頭の短編。
こんなことを書いてもこの短編集の雰囲気すら伝えていない。
人はどういうときに犯罪を冒すのか。
正当防衛が成り立つのはどういうときか。
精神異常者の犯罪とは。
どこからみても犯人と思われた男が無罪になるのにはどんな立証が必要なのか。
ドイツの高名な刑事事件弁護士が実際の事件に想を得て書いた“私”=弁護士の事件簿。
ドライ、簡潔にしてリアルな文章。
犯罪現場、”犯罪者”、“被害者”、警察官、検事、裁判官などの立ち居振る舞いが、生き生きと目の前に立ち上がってくる。
犯罪の態様、犯罪者たちの人物像、ヒネリ、ドンデン返し、、11の短編がそれぞれ趣向を変えている。
共通するのは不条理な世界に生きる人間の哀しさに対する想いだ。
ピリッとシニカルではあるが。
訳・酒寄進一
東京創元社
犯罪ってどこか恋愛的ですよね、、主観と主観のぶつかりあいみたいなのがある一線をこえたときに、普通ならなんで?ってことを起こしてしまう気がする。
以前テレビで瀬戸内寂聴さんが犯罪をおこすのは誰にでもあり得ることで、おこさないでいられるのは何かに守られているからなんですよ、とおっしゃっていて、、妙に納得したのを覚えてます。
そう言われた途端に....即座に捨てるだろうな
所詮 愛など約束できるものではない
こういうふうにしがみつかれ、振り払おうとし、さらにしがみつかれ
そうしたら、事件になるかもな――
なんて、冒頭の一言で妄想膨らんじゃった私 わははは
「私を捨てて」もあるだろうなぁ、
いや、あるかな?