遥かなる大和よ、情けない日本になってしまった 八木荘司「大和燃ゆ」(上下)
2011年 07月 05日
白村江(ハクスキ)の戦い、まだ日本という国名ではない、倭国、大和の時代だ。
「遥かなる大和」「青雲の大和」と読んできた飛鳥時代、大化の改新の時代を題材にした歴史ロマンの完結編。
ハラハラドキドキの戦争シーンを含めて全6冊の読了感は清々しい。
中傷讒謗、常に誰かを追い落とし権力者に取り入ろうとする蘇我赤兄の嫌らしさも語られるが、現在の権力者たちのありようを見ている目には可愛いものだ。
戦に負けても清々しい。
それは中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足たちが日本と言う国を創ろうと若々しい情熱と友情で結ばれている姿が描かれるからだ。
朝鮮半島と中国の情勢は日本にとって死活問題であったから、叡智を尽くして硬軟取り混ぜた手だてを講じる。
唐が百済を攻めてきたときも新羅を討つふりをしつつ百済を守り、唐に負けてはならないが勝つことも得策ではない。
唐が本気で倭国を攻めてきたら大変だ。
唐は国作り・文明の偉大な教師であるが、同時に恐ろしい侵略者になる可能性を帯びている。
白村江の戦いに敗れた天智政権は近江に遷都したり城や狼煙台などの備えを強化すると同時に、唐に守大石(もりのおおいわ)と坂合部石積(さかいべのいわつみ)を派遣して和睦交渉をさせる。
唐への留学生だった石積は唐政権内部の知己を頼り、最大の実力者 ・則天武后に会う。
気まぐれ、残虐な武后にスパイとして殺される恐怖もものかわ、石積は単刀直入に、唐が倭国に侵略する意志があるかを問う。
武后は高麗征討をもってこれ以上外に攻めることはしないと答えるばかりか驚くべきことをいう。
東の海中にあって爾国(倭国)の者は、天下を見通す力はありません。しかし、わたしには未来の姿がありありとみえているのです。(略)フイクションではあるが吉川真司「飛鳥の都」を読むとかなり史実を抑えた小説だから、このエピソードもどこかに出典があるのかもしれない。
汝ら倭国は小国寡民といえども、いつの日か、わが都まで攻めてくるでありましょう。その光景は、世のだれにもみえていなくても、わたしにははっきりとみえているのです。
菅と松本、岡田、枝野、仙石、、自民党でもいい、に対する天智天皇、中臣鎌足、石積、秦田来津(はたのたくつ)、、。
同じ国難に直面したリーダーたち、洞察力・行動力・判断力・指導力・想像力・外交力・覚悟・愛国心、、どこを見てもはるかに、まるで人種が違うかのように飛鳥の人々の方が優れているようだ(小説とはいえ)。
とくに在野、またはかつて敵方についた人でもその能力を見抜き責任のある仕事をやらせる。
明確な目標を示し後は信じて任せる(通信手段がないからそうせざるを得ない)ところなど、今の菅のマネージメントのあり方とは真逆だ。
角川文庫
明治維新や、関東大震災当時のような人材が、全然見当たりませんが、野に隠れている人材は居ないものでしょうか。
ドラゴンの後は誰?民間人???
そうされて奮い立たない人はいません。人材は今もいるのでしょうが、自分で手を出したり、またはお気に入りばかりで固めようとするから人が育たないのではないでしょうか。
とくに何をやりたいのかが分からないのでは仕えようがない、ご機嫌取りの権力亡者ばかりになります。
殆ど毎日UPでそのパワーに力づけられます。
この時代は私は大好きです。
明日香の地に立つと万葉の時代に自分が溶け込みそうでした。
飛鳥の人々の方が優れているに共感です。
則天武后のこの発言は、西太后の時代に・・・
あ、いえ、これはちゃんと出典を調べて自分のブログで発表します。
飛鳥時代は少なくとも人の力が活きたように思います。
則天武后の出典、ぜひ教えてください。
薬師寺にあるんでしたっけ。
菅を絵にかこうとする人っているんだろうか。