自然を力でねじ伏せられはしない 石橋克彦「阪神・淡路大震災の教訓」
2011年 06月 15日
「神戸はあと千年は大地震がこない」「阪神大震災で無事だった構造物は大丈夫だ」「活断層の上になければ安心」「直下型地震=活断層地震=マグニチュード7級=数千年に一度」、、といったような間違った考え方を正す。
プレートが地中深く垂れ下がった「スラブ」においても地震は起きる。
近畿地方のどこかで浅い大地震、紀伊水道~四国沖の南海巨大地震、スラブ内地震、兵庫県南部地震(阪神大震災)の震源域で破壊し残したところなどがそう遠くない内に起きる。
兵庫県南部地震は西日本の大地震活動期の始まりだ。
そして大正関東地震の後、静穏期が続いてきた関東・東海地方も活動期に入る。
それらの地震は阪神大震災より大きな被害を発生させることも考えられる。
阪神大震災では「短周期強振動」だったが東海地震や南海地震では東京などの3大都市圏では「やや長周期強振動」が起きることが予想されその場合は超高層ビルが共振し致命的な損傷を受けることも考えられる。
“免震構造”は地盤が軟らかいところや巨大地震によるやや長周期の大揺れが続くところではかえって危険とも言える。
阪神大震災は強振動が短かったために免れた液状化が広い範囲に生じる恐れがある。
、、、要するに兵庫県南部地震(阪神大震災)は決して最悪の都市型震災ではない。
敗戦後の50年間が地震列島の一瞬の静穏期だったこと、この期間に戦後の復興と高度経済成長を経て日本の反映がもたらされた反面、本質的に地震に弱い国土と社会をつくってしまったこと、そしてこれから地震活動期を迎える可能性が高いことを、はっきり認識する必要があります。著者は「原発震災」についても生じないとは断言できないから
万一の場合に地球規模できわめて長期間の大惨事を生ずる原子力発電所は、ほかの施設とは質的にまったく異なりますから、全廃する方向で努力すべきだと思います。という。
日本には防災についても「自然を人間の力でねじ伏せられる」という驕りと技術信仰があるがそれは間違いだ。
専門家は本来、確実に理解していることとそうでないことを明確に区別し、不確かな要因が社会と係わる場合には、一種の倫理観をもって最大限慎重になるべきです。また、科学者が厳密性を重んじて因果関係や危険性がわからないと言うと、行政はそれを何もしない口実にしがちですが、わからない要因にたいしては、社会は常に安全や救済を最重視すべきです。未知の部分が多い地震も例外ではありません。都市集中=過密と裏腹な田舎の過疎の激化は列島の環境と自然を日常的に破壊し、地球環境と人類存続の危機に直結して、震災よりもっと恐ろしいとも言える。
資源エネルギー浪費・環境破壊型の大量生産・大量消費・大量廃棄という生活様式が、震災を大規模・悲惨・長期化します。今のままでは、経済社会構造によって必然的に震災(地震の結果を言う)・風水害・渇水などが多発して大規模に複合化する「構造的自然災害の時代」を迎えざるをえないでしょう。そして
現代の震災は、私たちの文明社会と大自然の間に日常的に存在する無理・矛盾が地震という自然現象によって劇的に噴出するものです。したがって地震にもし一つでも役立つ面があるとすれば、それは、現代の危機的状況を衝撃的に教えてくれることでしょう。脱原発という考えを貫いていくと文明論、あるべき社会論に行きつくようだ。
私たちが大自然にたいする畏怖と節度を喪失して経済・技術至上主義でここまで来てしまったことを反省し、自然の摂理に逆らわない文化の創造を考えるー阪神・淡路大震災の本当の教訓は、人間と自然とのかかわりという観点からみれば、そういうところにあるのだと思います。
岩波ブックレット
天災に対して、国に多くは望めない事が、今回、はっきりしましたから。