新しいエリートたちのもとで原発なき文明を”復興”しよう
2011年 04月 05日
文明と云うものは不条理をはらむものだと田原総一郎は云い捨てた。
飛行機を見よ、自動車を見よと。
しかし、飛行機事故も自動車事故も後始末が出来る。
フクシマは後始末が出来ない。
海と空、それに大地を人間は汚すことは出来ても自由には出来ないのだから。
原発は今の文明を維持するために必要だから安全策を講じた上で維持し新設していこうという人がいる。
それは間違いだ。
人間の手に負えないものを制御しようとしてはならない。
新設は当然止める。
今あるものも順次止めて行く。
そういう前提で新しいエネルギー開発をすべきだ。
それが追いつかなかったらそれに合せた生活をしていくことを覚悟すべきだ。
それこそ”被災地の人のことを考えたら”我慢できるはずだ。
自民党も民主党も一緒になって国の危機を打開すべきだと俺は云った。
しかし、そのとき原発推進が約束されてはならない。
復興利権のために、原発推進のために連立に走ろうという政治家がいるという。
死んでしまえ!
今まで日本を引っ張って来たエリートたちは全て退場して欲しい。
実際のところ、地震がなくても全ては行き詰っていた。
マイナスが少ないという理由で菅が一国のリーダーに選ばれて、予想通りマイナスにしか機能しなかったのに代わりがいないと言うだけの理由でダラダラと総理の座にしがみ続けて来て、このありさまだ。
ことほどさように人材がいない。
総理大臣だけではなく、政界、財界、官界、学界、、信じられないような人が要職に就く時代だ。
それがなんの根拠もない原発安全神話を罷り通させてきた。
関係各位の利益のために。
そして”想定外”と云う想定内の事故の前に児戯に等しいような振る舞いを演じる似非エリートたちをふんぞり返らせてきたのだ。
東電のことを言っているのではない。
政治家、財界、官僚、メデイア、、最大の犯人は学者たちだ。
これらに追従して来た俺たちも引退すべきだ(俺は既に隠居だけど)。
そうして若者たち、今まで正しいことを言っても目ざわり、耳ざわりだとして片隅に追いやられていた、本当のエリート(己の使命のために身を犠牲に出来る人)たちにこれからの復興をお願いすべきだ。
人間の生き方、社会のあり方、政治経済のあり方、すべてが改まるべき時なのではないか。
人類の進歩は過去に学ぶところにあったはずなのだが、、、 どうやら、そういうことが全くできない人というのも、存在するように思えてならない。 ウラル核惨事キシュテム事故 1950年代当初のソ連では、一般には放射能の危険性が認知されていない、もしくは影響を低く考えられていたため、放射性廃棄物の扱いはぞんざいであり、液体の廃棄物(廃液)は付近のテチャ川(オビ川の支流)や湖(後にイレンコの熱い湖、カラチャイ湖と呼ばれる)に放流されていた。やがて付近の住民に健康被害が生じるように...... more
ほんまに、どさくさまぎれにいろんなことを国会で通すんやろうなぁ、ここは誰の国なん?
本当もウソもエリート主義が破綻しているのです。
原子炉導入に奔走した白州次郎を筆頭に、「本当のエリート」による原発の原罪は隠せません。
エリート主義は終わったかもしれない。
でもじゃあ誰が?
学者たちが危ないと言ってくれさえすれば!知的エリートがいなくなったら蒙昧の社会です。
つまり慌てないで時間を待てば良かったのですね。pcは解らない。
サンチちゃんって男の子?女の子?なごむ姿ですね。
ちょっと一休みして、ごく近所の数本の桜を見てきましょう。
IAEAの元日本代表(当然原発推進派)の言葉。 ”事態を冷静に受け止め、早期に安定させることが最も重要。しかしエネルギーの安定確保、温暖化対策の観点から原発はわが国には不可欠”。
似非エリートってこうだな~って思いました。もうね、早期に安定
なんてできてないし、そんな見込みすらない状況になっているのにその現実を否定して、マニュアル通り、現状の手順にのってれば、やり過ごせると妄信している。まさに似非エリートたる・・。
人間が放射能をコントロールするのは 本質的に 不可能。
って何で言えないんでしょう??
家族の津波被害で、ちょっと考えがまとまらなくて原発問題のことはまだブログに書いてませんが、言いたい事はマグマのように沸々とたまっています。放射能と一緒でこういうパワーは制御不可能ですね・・。
今、田中三彦の「原発はなぜ危険か」を読んでますがIAEAのえらいさんみたいな話がごろごろ出て来て恐ろしいです。
エリートという名の犯罪者予備軍ですね。
いま放射能汚染に苦しむ人達が目の前にいるのに、大したことないって思える神経は人としての感覚を失っています。
自分達が安全ならいい、国のために弱者は切り捨て、この腐ったエゴイスト感覚が日本をだめにしてきたんです。
みんなが声をあげてこの社会を改めたい、と意見を言わなければ、ならない時ですね。