あなたがいるから私がいる なぜか泣けてくる 金子みすゞの世界
2005年 10月 13日
金子みすゞは「私と貴方」を「貴方と私」へ変えた人だ。多くの人はまず「私」があって「貴方」がある。でも本当は「貴方」があるから「私」があるのだ。「親」があって「子」があるんじゃなくて「子」がいて初めて「親」になる。だから「子」と「親」。子供の方からみたら「親」があって「子」がいる。「親」と「子」だ。そこが全てのスタートだ。
自分が「人間」だという認識は周りに人間がいて初めて成立しうる。無人島に育てば「あなた」も「わたし」もない。自分が人間だという意識もない。
理解ということは「貴方」のところまで目を下げて行って初めて可能になる。人はそれぞれ理解の”融点”が違うのに自分の考えで「これだけ話したから分かるはずだ」と決め付ける。でも相手にとっては融点まであと1度足りなくても理解できない。理解してもらおうと思ったらもう1度分、頑張って話さなければ駄目だ。その努力をしない方が悪いのに多くの人は相手を悪く言う。そこで理解が止まってしまう。
貴方と私は同じ・等しい。ふたつでひとつ。一人と全員でも同じ・等しい。みすずコスモスでは全てはふたつでひとつ。例えば生死一如。
なんと言うことだ!さっき聞いていたときは活き活きと俺の心や体中にしみこんで来た言葉がこうやって書き写していると干からびた言葉になってしまう。”喜び飛ばし”(矢崎さんが教えてくれた言葉)は思いのほか難しい。詩を引こう。
つもった雪
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。
下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。
中の雪
さみしかろな。
空も地面(じべた)もみえないで。
この詩を読んである年配の男がハラハラと泣いたといいます。「俺は今まで”中の雪”のことなんて考えてみたこともなかった。なんと、何も考えないで生きてきたのだろう!」と。
矢崎さんの話を聞いたホテルから見える宇品の海
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ
「星とたんぽぽ」より