出でよ!第二第三の深澤晨雄(まさお) 及川和男「村長ありきー沢内村深沢晨雄の生涯」
2011年 01月 22日
あの時、夕方の会合までの空き時間に友人たちが連れて行ってくれたのが「深澤晟雄資料館」。
深澤の生き方に感銘を受けてそこで売っていた彼の伝記だ。
記念館の感動がよみがえる。
日本のチベットとも言われた岩手県のなかでもさらに豪雪、貧窮に苦しんでいた沢内村の村長として
すこやかに生まれ、すこやかに育ち、すこやかに老いるという当たり前だけれど当時の(今でも?)現実では夢物語と思われた目標の実現のために命をかけた男。
彼の情熱と微動だにしない信念・実行力の前に人々が自分の人生を変えて行く。
東北大学の俊才医師加藤は、はじめは3、4カ月のつもりで沢内村に来たのにそのまま村の地域包括医療サービス計画の策定とその実現に邁進する。
誰でも(どんな貧乏人でも)、どこでも(どんな僻地でも)、いつでも(24時間、365日、生涯にわたって)、学術の進歩に即応する最新最高の包括医療サービスと、文化的な健康生活の保障を享受できるようにする計画だ。
権威、とくに役人の官僚主義、派閥意識にからめ捕られた古臭い医師などには傍がハラハラするほど罵詈雑言もためらわないのに、貧しい人びと、働いている人びとを大切にし思いやる、そういう態度は生涯一貫していた。
人口の半分を占める婦人の意識を民主的に変革し、自覚を高めて行く。差別されてきた女性の方が可能性を秘めている。婦人会を作り、徹底して歩き回り婦人たちと話し合う。
深澤は上からの改革ではなくて村民たちの自覚と自主的な行動がなければ目標は達成できないと確信していた。
村役場に労働組合が出来たのを大喜びする。
広報の重要性を強調し、その広報は
政治的に無色であり思想的に無臭でありいささかも主観によって歪めらてはいない(客観性)、当局一任ではなく官民問わない関係者による公平で妥当性のある(民主性)、平易で興味のもてる(庶民性)ものでなければならないとした。
選挙では農業や建設問題など、いわゆる票になる公約を一切掲げず、生命行政一本槍で周囲をひやひやさせて僅差で信任を得る。
紺屋の白袴、自らの変調への対応をないがしろにして58歳で癌に倒れる
人間の生命が何よりも大事だ、とは誰でも言います。しかしあなたのように、その大事な命を守るために本当に努力された村長、町長、市長がどこにあったでしょうか。日本広しといえどもどこにあったでしょうか。弔辞の流れる
寒い式場に人びとのすすり泣きや嗚咽が満ち、それは吹雪のうなりにまじって白皚皚(ハクガイガイ、真っ白な)たる沢内の天空に流れた。俺とはその徹底度、深さにおいて天と地との差があるけれど、権力批判、現場第一、民主的、庶民的な広報、、俺は彼の生き方ややり方が好きだ。
生まれ変わることがあったら彼のような人生を送りたい。
僅かな空き時間に記念館に連れて行ってくれた友人に感謝したい。
俺がきっと感動するだろうと知っていてくれたことが嬉しい。
そういう人を同じ志、同志と呼ぶのかもしれない。
れんが書房新社
>そういう人を同じ志、同志と呼ぶのかもしれない。
そうだよね
だから私もsaheiziさんの同士だな 笑
しかし
今のくだらない 腐った 政治家に聞かせてやりたい
彼の言葉の一つ一つ
これが、本当に人間というものだ
今の政治家のように、金と権力のために自分の信念も、人々にその政務を託されたことの責任も、そして人間としての尊厳も捨てた人達は、動物にも更に劣ると思うのです
あーーまた心に深く感動した 涙
有難う
今はせめて彼のことを多くの人、とくに若い人に伝えることが任務です。