ひやかしも芸の内 小満ん「二階ぞめき」 第509回「落語研究会」
2010年 11月 26日
去年はそんなことがなかったのにもう老化したってことでもないのだろうが。
まあ、俺もふわふわ、アンカ代わりでいい気持ちなんだけど。
今日は国立劇場、いつもの通り半蔵門の銭湯に入って、腹ごしらえはタンメン。
昨日はそれほど感心しなかった小満んの「二階ぞめき」が一番だった。
吉原の方へご案内しよう、、こういうことでございます穏やかな笑みを浮かべて静かに切りだしたこの一言。
会場に、これから広がるだろう、ある世界を暗示して俺たちはなんだかほっとするのだ。
今日一日の最後を締めくくる夢の時間に身を委ねてみようじゃないかと。
日千両の吉原に遊女が3千人、それを取り巻く人が1万人、それを養うのはせっせとやってくる男ども、まるでミツバチだ。
平袖(いつでも喧嘩が出来るようにタモトがない)、古渡り唐桟、藍染め野崎の手拭いでほっかぶり、素肌に尻はしょり、ちらと内また覗かせて、弥蔵(やぞう、ふところ手の握りこぶしを胸の前で突き上げるような姿)に決めて吉原をひやかす。
女を買うのが目的じゃない。
鉄火なナリをして張り見世の女たちや牛太郎と小粋なやり取り、意地の張り合いをするのが楽しくてしょうがない。
胆力と機知を磨く男の道場だって、そりゃ云いすぎかもしれないが。
ぞろぞろひやかしの客の様子をみて蛙たちが、「どうだい、俺たちも行って見ようじゃないか」、殿様はエラそうに、エボは汚く、アカもアオも、ぞろぞろ、「あのイイ女はなんて名だい?」訊かれた若い衆チンプンカン、そりゃそうだ蛙が見てたのは後ろの窓だって。
ひやかし(素見)の魅力に取りつかれた若旦那、勘当の一歩手前、先を案じた番頭が思いついたのが
二階に吉原を作ってしまえば若旦那も家にいるだろう出入りの大工が腕を振るった二階の吉原ランド。
若旦那も粋だね。
女たちが坐っているように見えるねェ。なまじ人形なんか置かれたら興ざめだ。すっかり、その気になってナリまで拵えて、畳敷きの吉原には中抜き草履で、”ぞめく(騒ぐ→ひやかす)”。
新内やら都々逸やら鼻歌混じり。
お茶を引きそうな女が頼むから上がってくんないと声をかける、俺はひやかし専門だから、なにさ、金もないくせに、一人で両方やって盛り上がる。
女ともめたら怖い兄さんの登場、なにしゃがんでえ、殴ったり胸倉つかんだり、これも一人芝居だから忙しいったらない。
そもそも吉原ってのが俺には異界・異次元の噺、その吉原が二階に忽然と現れるという異次元の中に異次元が入れ子になっている。
噺家は一人何役もやる、そのうちの一人(若旦那)が又一人何役もやる、これも入れ子。
ワクワクしながら聴いていた。
前に談春のやったのを聴いて面白かったけど小満んのぞめきはまるで違う。
聴く方の想像力をフル回転させる力を秘めたぞめきだった。
他にさん喬「野ざらし」も良かった。
やっぱりこの人は滑稽噺の方が好い。
菊之丞「景清」には驚いた。
しばらく見ぬ間にどんどん伸びている。
あの変てこな色気も抑えて骨太のしっかりした噺にしている。
以前あった頑張りすぎて途中で息切れしてしまうということもなかった。
これまた談春のやったのと比べて恐縮だけど、落語らしく、というか悲劇を強調しすぎずに滑稽味もあって好感がもてた。
後は一琴「のっぺらぼう」、志ん公「万病円」
落語の話を聞くだけで、日溜まりだけでなく、人情も温かい気がします。
落語を楽しむ余裕が。
かわいいわあ、、わたしもみゅうを銀杏のなかで撮ってみようかな。
二階ぞめき、聞いた事ないんですよね。二階を吉原にしてしまうというはなしは、噂では聞いていましたが!
突拍子もない事を、考える物ですね。
私が吉原で働くとしたら、やり手ババアかな。。
明日も小山で仕事です。「二階ぞめぎ」ここらあたりの噺はまだまだ談春は勉強だと思います。小満んの「粋」にはかなわないかと。
「景清」 丞さんのを私も光が丘のホールで聴きましたが、実は
丞さんは、「骨太の噺」が真骨頂だと思います。さん喬の「野ざらし」は鈴本で。話が尽きません(苦笑)ではまた。
ミュウちゃんはコントラスト?いえ、調和ですね。
やり手婆ですか、粋ですね。
ゆっくり話しましょう^^。
小満んの“ぞめき”はいつか聴きたいです!
志ん生の蛙の小咄は単独でもCDになっている位ですから、それを小満んがやるなんて、志ん生ファンにはうれしい限りですね。
菊之丞は私も好きです。そういえば、先日らくだ亭で初めて見た三遊亭司が、もう少し骨っぽくなれば、ちょっと菊之丞に近づくかもしれませんが、まだ先ですね。
さん喬の『野ざらし』は未見です。いつか出会いたいです。
それでは、そのうち尽きない噺の話の続きをいたしましょう!
お楽しみですね。