虎が鳴いたら大変だあ 第4回「噺の扉」

えっ二階?
予約したときは気がつかなかった。
同じ料金、二階に行くと損をしたような気がするが前から二列目、なんとか見える。

今日もやっぱりトリの小満ん「富久」だね。
浅草安倍川町、「日本の下層社会」を書いた横山源之助によれば貧民の住むにもっとも便利な町(明治28年「毎日新聞」)に住むしょぼくれた太鼓持ち・久蔵がしくじった旦那の火事見舞いに芝久保町まで駈けつける。

ちょっと待て、その前に大事なことがある。
久蔵は六兵衛さんから千両当たる富くじを「古川に水絶えず」、なけなしの一分を懐からひねり出して買った。
そのお札を部屋に祭った大神宮様ん中に入れて、お神酒を供えてお下がりを飲んでいい気持ちに酔っぱらって大神宮様にお願いするんだね。
千両なんて図々しいこたあ言いませんから五百両当ててください。
そうしたら、、あたしゃ太鼓持ちを辞めて堅気になる。
それで小間物屋になる。
居抜きで二百三十両ってえ出物があるン。
それを二百両に値切って買うよ。
値切った三十両で大神宮様の御宮を立派なものにするからお願いします。
小間物屋の主人になってヒトリモンじゃあ信用が出来ないからおまっつあんに嫁に来てもらう、、足袋屋の看板片思いかもしれないが、、
っていい気持ちになって寝込んでいるとジャンジャン半鐘がなって「おっ、ぶつけてるよ」あれは芝方面、しめた!今行けば、旦那「久蔵、よく来たなあ、今まで通り出入りを許すぞ」となるかもしれない、てんで夜の師走に駈けだす。
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(人形町で)
芝の旦那の家で、火事がおさまって火事見舞いの記帳をしていると、とたんに疼く酒の虫。
意地汚く酒をねだり、始めちょろちょろ中パッパ、ああ、俺を見てるようだ。
酔い潰れて寝てるとジャンジャン又ぶつけて、今度はいけねえ、久さんお前の浅草方面だぞ、早く帰んなさい、、そしてな、そんなことはない、そんなことはないと思うが、万一にもお前の家が焼けるようなことがあったら、他に行っちゃあいけないよ、家に戻っておいで、って旦那の優しさ、涙がでるなあ。
ッサイ、ッサイ、サイコラショ!
かけ声かけながら走る走る。
この走りを志ん生は浅草から芝に駈けつけるときにやるんだけど小満んの師匠・文楽は芝から浅草に駈けつけるときにやる。
だから小満んも帰りにッサイッサイ。
文楽の甲高い声がだぶって聞こえる。
落語も本歌取りみたいな気分があるんだぜ。
先日歩いた夜の浅草を思い浮かべる。
歌枕ってのかい。

走ってみても先に待つのは真っ白けンになった焼け跡だ。
とぼとぼと芝までひき返す道のりは遠かっただろう。
浅草→芝→浅草→芝、一晩で二往復、落語の世界は足が弱くちゃ住めない。

しばらく旦那んとこで世話になって、ある日旦那の言うことには話はついてるから奉加帳をもって回りながら家に戻ってご覧とこれまた泣ける温情。
帰る途中で富くじをやってるところに通りかかる。
千両当たって天にも昇る心もち、でも肝心のお札が燃えちゃった。
悄然と帰る道で会ったのが棟梁、なんと火事の現場に飛びこんで大神宮様の神棚を持ち出してあるという。

浅草から芝へ行ったり来たり、富くじに当たって天に昇ってドスンと落ちて又昇天。
閉塞状況の現実にいる観客は、このジエットコースター感覚がたまらない。
抑制された演出が久蔵の哀歓をより深い味わいにする。

家にある先代文楽の「富久」と聴き比べると小満んがいろいろ工夫しているのが面白い。
今夜は志ん生のと比べてみよう。
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(人形町、カキのバタ焼きを食う)

他は歌武蔵「だるま」
新作、丁寧にやって好感。
小朝「黄金餅」
これまた丁寧に、ときどき解説するようにやる。
うまいもんだ。
麻布絶口釜無村の木蓮寺の破壊和尚の造型が汚らしくて現代向き。
聴きどころの下谷山崎町から麻布までの道行の言い立て、きっちりとやって拍手が来たが、俺は志ん生のが頭にあるから面白くない。
あのリズム感がないとつまんない。
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(サンチと散歩の途中で)

小沢昭一「隋談」
来年もこの会に出るようにと言われた。
この会はいつもお笑いたくさんをやっている小朝が志をヒトシクする小満んと「きっちりと落語の伝統の上に立ってそれを受け継いでいく会をやろう」という趣旨でやっているということを今頃やっとわかった。
真面目とオチャラケの真中あたりというのがいいと思う。
それで私も心を入れ替えて今日から真面目とオチャラケの真中で「私はどのようにして落語・寄席が好きになって来たか」を順を追って話していきたい。
ということを「今日は嬉しい日曜日 朝も早から目が覚めた」とういう歌を大声で挟みながら、そう、五回じゃきかない、繰り返す。
芸、シャレの域を超えている、単なるボケと見たが、、。
「今日は嬉しい日曜日」という歌は小沢が初めて聴いたSP子供向け落語の冒頭に出てくるのだ。
ぐるぐる噺を繰り返しながら最後にその落語とやら(短い)を全部話して聞かせる。
やっぱり、繰り返しは芸の内だったか、SPのぐるぐる回るのをやって見せたか。

日本橋劇場
Commented by sweetmitsuki at 2010-11-12 21:38
浅草→芝というと丁度スカイツリーから東京タワーまでの距離ですね。
それを一晩で二往復、「黄金餅」もそうですけど、落語の世界の住人は本当に健脚。
昔はそれが当たり前だったのでしょうか、そう考えるとますます完成前のスカイツリー見たくなってきました。
Commented by saheizi-inokori at 2010-11-12 23:27
sweetmitsuki さん、落語ですから面白く大仰にしているとは思います。
でも吉村昭の小説を読んだりすると実際にも江戸時代の人は良く歩いたと驚きます。
Commented by penkichih at 2010-11-13 00:29
こんばんは。
私も志ん生師匠の「富久」が好きです。
馬生師匠も上手かった!
どん底生活の久蔵が火事でも逃げないトコが泣かせます・・。
「火事なんてぇのは金のあるヤツが怖がるもんでね・・・。家は大家のもんだし、布団は拾ってきたもんだし・・。ケツが温っかくなったら飛び出しやすから・・・・」

売れない幇間の悲哀がでてました。

小朝の「黄金餅」は聞いたことがありません・・・(・・;)
Commented by saheizi-inokori at 2010-11-13 09:39
penkichih さん、だから浅草から芝へ走るときに頑張る志ん生の演出の方が理にかなっていますね。
「富久」はいかにも落語という表現形式をフルに生かした噺だと思います。
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by saheizi-inokori | 2010-11-12 12:10 | 落語・寄席 | Trackback | Comments(4)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori