ボケ隠居が再び浅草へ 雲助「身投や」が出色
2010年 11月 09日
その会には出たことがないのだが返信用はがきに出席としてあったそうだ。
欠席に丸をしたつもり、メモ帳のスケジュールにも何も書いてない。
いよいよ、ここまで来たかと、幹事にも申し訳ないやら情けなく、、秋晴れのもとサンチと歩いてようやく気を取り直す。
雲助の「身投や」
両国橋から、南無阿弥陀仏、身投げをするふりをして止めてくれた人からおカネを恵んでもらう“商売”を始めた三吉。
さっそく100両貰って帰りゃあいいものを欲につられてもうひとり引っかけようとしていたら、目の見えない男が小さな男の子と心中しようとしている。
国に帰る旅費があれば、というので100両やってしまってから橋のたもとで見ていると二人は「今度は吾妻橋でやろう」とスタスタ。
ぎょろりと目を回してあたりの様子を探ってみたり白眼を剥いたり、、仕草が面白い。
ざわつきがちの会場を完全につかまえてしまう明晰で朗らかな語り。
今日の最高の収穫だ。
後は扇遊「引越しの夢」、昼トリ・円歌「昭和天皇御前落語の思い出」、夜に入って三三「?」なんというんだろう?居候が味噌漉しに豆腐を入れてトイレに入って、、という噺などが良く錦平「壺算」が受けてダーク広和のロープのマジックが不思議がられていた。俺も不思議だ。
居酒屋とか酒を飲ませる店は勘が働くがレデイーに向く店ってなかなか、しかも暫く食探訪をしてないからアンテナも錆びている。
それにしてはまあまあだったかな。
それよりも噺が楽しかった。
能管の名手で爬虫類を愛好している天才と会いそびれたという噺が出て、きっとその人の名前、「一噌なんとか」じゃないか、とまで出るのだが後の名前が出ない。
「え~とえ~と」又もや歯がゆい思いだった。
家に帰って讀賣の夕刊を見たら「一噌幸弘」のことが出ている。
そう、「幸弘」だ!今頃思い出してもしょうがないんだけど。
ステキな場所ですね♪
ずっ~~と先まで続いている。。綺麗。。
わたしもくぐってみたいな。
桜のトンネルもきれいです。
雲助の『身投や』、いつかぜひ聞いてみたいです。佐平次さんの名解説から、このネタは雲助にニンだろう、と想像できます。顔の表情も目に浮かびますよ。
三三の噺は、もしかすると『湯屋番』の前半部分かと思いますが・・・・・・。噺家さんによっては省く部分です。間違っていたらごめんなさい。
扇遊も十八番ですね。噺にも、その後の食事でも満腹感のある一日だったのようで、遠来のご友人も喜ばれたのではないでしょうか。
たまには(私は一週間ぶりですが)浅草もまたいいですね。
完成したら見に行こうと思っています。
途中経過をみることはこの時代に生きた証拠です。
是非写真を撮っておかれることをおすすめします。
出来あがってしまうとその前の景色というものはなかなか思い出せないものです。
短い時間(仲トリでも17分くらい)でやりながら満足させました。
大塚の駅前にもうまい店があったなあ。機会があれば。