好い時代だったと思う 大村彦次郎「荷風 百閒 夏彦がいた」
2010年 11月 07日
文藝春秋の佐々木茂策専務から速達の手紙が来てついでの時に社によってくれとあった。
さっそく行ってみると「直木賞に決まったが貰う気があるか」と訊く。
既に中堅作家であったのに今更直木賞でもないだろうと言う声もあったのだ。
レストランでの授賞式は芥川賞の火野葦平(「糞尿譚」)が出征中のため省略され井伏はひとりで銀座裏の小料理屋「はせ川」に行き、穿いていった袴を脱いで新聞紙に包み、ついでにもらった賞金のうちから、これまでの借金を払った。
「はせ川」のおカミさんは井伏に受賞の祝いを述べ、このお金は縁起がいいから、娘が女学校を受ける受験料に使うつもりだと言った。井伏の小説の登場人物そのままだ。
ちょうどそこへ作家仲間の立野信之が酒を飲みに来たので、「おい、いっしょに飲もう」と誘うと、立野は「君の賞金で飲むんじゃ、気がとがめる」と言って、帰ってしまった。結局、その晩、井伏は自宅近くの阿佐ヶ谷まで帰ってきて、相手もなく一人で飲んだ。
俺はこういう噺を読むと嬉しくなる。
ちょっと寂しい噺でもある。
それでいてなんとなく心が温まるのは井伏という人間の体温を感じるからか。
昭和元年から64年まで、一年五話、敗戦の年だけは十話、一話が一頁ほどの亡き文壇人の日常生活の”スクラップ”、「ちょっといい話」集だ。
「昭和の文人あの日この日」が副題(筑摩書房)。
どの話にも時代の匂いがして俺は郷愁をそそられた。
長いようでもあっという間にすぎ去った怒涛の昭和。
得体がしれないガスに包まれて生きているんだか漂っているんだか分からない今より輪郭がくっきりしていたのではないか。
サテ平成という時代は後からどのように思い出されるのだろうか。
ちょっと貧乏くさいところ、そのくせプライドは高いんです。
そのころ高校生だった一番したの妹が「ジョン万次郎てだれ?」とキョトンとして聞いたのがおかしくて。
頭のいい人なんですけど、変なことを知らないの。
その後、彼女はアメリカの大学院を出たんですよ、、
英語ペラペラどころか、、すごいことになっちゃった。
実は彼女が我が家のジョン万次郎だったのか〜とおもしろく思います。
小説を読みなおしたくなりました。
武士に対する文士、単なる思いつきの造語と思いますが、みんなでよってたかっていい味付けをした感じですね。