石和、小淵沢、富士見高原、、そしてまた熱暑の東京へ
2010年 09月 01日
いちど心の武装を解いただけにこたえる。
少々の脅しや賺しでは白状しないホシを一旦釈放してほっとしたところで直ぐに再逮捕すると嘘のように歌いだす(しゃべる)というのは良く分かる。
たった二泊三日、しかも石和で墓参り込みというのもなんとも極細の避暑ではあった。
今年は墓参りかたがた本家筋二軒に挨拶に寄った。
母が生前は必ずと云ってもいいほどお寄りしたのだが、亡くなってからは、こちらが忙しかったり、ご迷惑をかけることになりはすまいかと考えたり、なあに実のところは俺の不精・不遜のせいで、だんだん敷居が高くなっていた。
こんど結婚のこともあるので娘一家も引き連れて行った。
孫たち、いや親どもも大喜び。
年寄りがそのつもりで親戚付き合いをまめにしていないと孫子たちは他人同士になってしまう。
その”年寄り”たあ俺のことだって今頃気づくのも愚かしい。
お互いの亡くなった親や祖父母のこと、幼い頃に夏休みに母や叔母に連れられて来た時の高砂のオウナのようなおばあちゃんの印象、亡母がこちらの叔母さんが大好きで心の頼りにしていたことが亡母の遺した祖母の歌集に挟まれていた手紙のコピーでよくわかったこと、などなど次から次に話は途切れず、敷居なんて一編に雲散霧消だ。
”遠くの親戚”にとても近い血のつながり・温かさを感じて、それをたいちゃんやはあちゃんに少しでも印象づけることができたような気がしてほっとした。
林の向こうの空が暮れてゆくのを満喫しながらベランダでイタリアン。
俺は野沢菜で燗酒も。
地元のうまいワインに、ハーベストビールに、飲みすぎたせいか食後のオセロゲームではたいちゃんに手もなくひねられた。
2日目以降の写真を並べる。
新しい携帯に馴れないのかサイズがいつの間にか変わっていて困る。
しかも構成がいい!写真家saheiさんの誕生!?
文章がなくても、言いたいことが伝わってきますよ、、
プロでもこういう風に撮れる人は少ないです。
不思議なことに私が独身で子供がいないから、逆に身内のつながりを作る役目になっているようです。
変なこと言って皆がキョトンとしたあと、大笑いになるようなおばさんです。
私には財産も家族もないから、しきいが低いのかも??
人をまとめるのにはそういうキャラクターが必要なんですね。
でもやはり前のから比べると画素数が多くなっている気がします
だって色鮮やかでキレイですよ
先日までの私もそうでしたが、確かにカメラ機能は良くなっているはずなのですが、上手く使いこなせてません(汗)
あとは慣れですね(汗)お互いがんばりましょ
遠く離れていても、近い血の繋がり、温かさが、あった・・・
なぜでしょう?なんだか私まで嬉しいです 感動しました
良かったですね・・・
>いちど心の武装を解いただけにこたえる。
よ――く分かります 笑
子供にとって、親戚づきあいってすごく大事な気がします
うちは、母が面倒見がよかったから、人がよく集まったから、私が何となく人とうまくやっていけるのは、そのおかげだと思いますよ
田舎の空気は、万人にいいですね
自分で釣ったものを食す
これまたいい経験
遠くの親戚より近くの友達というような言葉がありましたが、やはり血縁には独特の懐かしさがありました。
ゆっくりしてください。
はあちゃんも可愛くて、、、
野菜も優しく、
野山は家族を祝福してそう、、
それに親戚の家にあった「のらクロ」大事にされている生活ぶりが伺えます。
本当に良い「絆」ですね。
でも、、まあ、たまにだから一層幸せを感じるのかもしれません。