吉村昭さん、ありがとう 吉村昭「桜田門外ノ変」(上下)

若い頃は気にも留めなかったのに読むたびにうならされる作家が吉村昭だ。
「史実を歩く」のなかにこの小説を書くためにどれだけの調査、史料にあたるだけでなく人に会い、なによりも現地を踏む、をしたかを読んで、早く読もうと思いつつ今頃になった。
浅はかな読み方しかできない俺でもなんどか踏みとどまって一言一句を噛みしめてみたくなる、そうすると作家が本当に書きたかった心情がうっすらとではあれ見えてくるような文章。
簡潔にして奥深いのだ。
余韻というものが潔く言い切ることで生じるという、その見本のような文章だ。
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1860年(安政7年)3月3日、桜田門外で、水戸脱藩士17名、薩摩藩士1名が、時の最大権力者・井伊大老を襲撃、首級をあげた。
この事件は彼らが意図した以上に歴史に大きな影響を与えた。
この事件を境に幕府の求心力は失われ尊王倒幕運動が燃え盛りわずか8年後に明治維新がなったのだ。

小説は事件の現場指揮者であった関鉄之介を主人公にして彼の視点で描かれる。
ときおり作者の私的感慨や批評が顔を出すような”親切”な書き方ではない。
吉村自身が鉄之介になりきって、考え、朝どのような気分で起きて、飯をうまく食い、辿らなければならない道をどのような気持ちで歩き、会わなければならない人とどんな話をどんな顔をして会い、裏宿で酒を酌み交わし、憤慨し哄笑し、歌を読み、水戸藩と日本の現状を憂い、明日に希望をつなぎ、妻や子のことを案じて休んだか。
一つひとつ史実に則り淡々と語られる。
モノクロの映画をみているうちに俺も鉄之介と一体化していく。

上下750頁は事件に至るまでの水戸藩の内情、鉄之介たち水戸学の信奉者が井伊大老を殺さねばならないと考えるに至る過程(黒船来航、過酷な安政の大獄がリアルに)、襲撃の準備、事件後の鉄之介の逃避行(郷士たちの献身的な支援)などが大半で襲撃の場面の描写は僅か10頁ほどである。

襲撃に呼応して京都で朝廷を取り込むための支援を要請して越前、鳥取、長州、薩摩、土佐、宇和島の諸藩に密使(鉄之介も含む)を送る。
幕府側の厳重な警戒の中の工作はスパイ小説としてもスリルに富む。
土佐藩に向かった男は国境で龍馬にも会い龍馬は藩内での工作を請け合うが2度と現れないままに結局藩内に入れないで帰京する。
もっとも積極的に襲撃を支持し激しく決起を督促し京都への3000人の出兵を確約した薩摩藩は斉彬の死後、久光の幕府への恭順策により“裏切る”。
龍馬、西郷、大久保、木戸、、、維新の立て役者として今も子供ですら憧れとともにその名を仰ぎ見る英雄。
それに対して鉄之介たち水戸の脱藩士たちに対する現代人の視線は冷たい。

思いの深さ、潔さ、実行力のある者が、後から見たら歴史上の”浅慮の蛮行”に走らせ、保身に走った上司に“恵まれて”出遅れた者が栄光と現世の利益をつかむ。
鉄之介たちが水戸藩からも極悪人として追われていく後半は、読みながら息を詰める緊迫感が漂う。

襲撃の場面を引こう。
鉄之介は、今にも膝頭がくずおれるような体のふるえを必死にたえながら、指図役として自分は一歩も動かず立っていなければならぬのだ、と自らに言いきかせた。
各所で同志たちと徒士との間で鍔ぜり合いがくりひろげられている。同志たちは気持ちも動転しているらしく、白襷をつけている者はいても、白鉢巻をしている者はいない。合図の言葉「正」と「堂」を発する者もいない。
彦根藩士だけではなく、同志たちもうろたえている。剣術の稽古で最も重視される間合いなどすっかり忘れ、ただ刀を上下左右にふるうだけで、揉み合っている者もいる。
現場には切断された多くの指、耳や鼻の一部が散乱していたという。
間隔をおかぬ鍔ぜり合いのためだ。
この日、雪がいつ降り出していつ降りやんだかを徹底して調べる作家ならではの描写が続く。

俗な言い方だけど「昔の日本人は豪かった」と思う。
豪くなくて良かったとは思わない。
足を棒にして頭をフル回転させて細かいこともないがしろにせずに、豪い先達のことを教えてくれる作家はそうはいない。
吉村昭に感謝だ。
吉村も豪い作家だ。

新潮文庫
Tracked from タヌキおやじの日々の生活 at 2010-10-15 22:30
タイトル : 吉村昭「桜田門外ノ変」上下巻を読破!!
桜田門外ノ変〈上〉 (新潮文庫)(1995/03)吉村 昭商品詳細を見る 桜田門外ノ変〈下〉 (新潮文庫)(1995/03)吉村 昭商品詳細を見る 上巻が先週土曜日の雨で濡れてボロボロになってしまった。 もう中古本として熱..... more
Tracked from 境界通信 at 2010-10-31 22:59
タイトル : 吉村昭 『桜田門外ノ変』
 江戸時代は学問芸術の時代である。その一つが水戸学つまり復古的な尊皇攘夷思想だ。進取的な実学や蘭学の対極にある。あまり宜しくない思想だ。しかし復古思想が時代をリードすることもある。それが歴史の面白ぎ..... more
Commented by antsuan at 2010-08-25 12:10
「時代考証とはかくありき」と感嘆させられる作家ですね。
Commented by saheizi-inokori at 2010-08-25 12:25
antsuan 、”面白い”噺を次から次へと量産する作家に比べて一行あたりのコストは何十倍にもなっています。
それを文庫本で読める幸せ!
Commented by きとら at 2010-08-25 22:57 x
>俗な言い方だけど「昔の日本人は豪かった」と思う。
 
 藤沢周平、吉村昭、司馬遼太郎。
 それぞれがそれぞれに昔の豪かった日本人を書いていますね。
 藤沢はウェット、吉村は中庸、司馬はドライ。
Commented by HOOP at 2010-08-26 00:08
中学生の頃、「戦艦武蔵」についての講演を聴いたことがあります。
かなり経ってから読んで、その緻密さに驚いた記憶があります。

ところで、桜田門外とは、
今の外周道路から見える「いわゆる桜田門」の外でしょうか、
それとも、その門を入った曲輪にある門の外、
つまりは曲輪が現場だったのでしょうか。
Commented by c-khan7 at 2010-08-26 06:46
当時の超アナログな情報網で、状況、相手の考え、正しい情報を知らねばならなかったので、想像力と洞察力は現代人より数倍研ぎすまされていたでしょうね。
Commented by saheizi-inokori at 2010-08-26 10:33
HOOP さん、濠の外から橋を渡るために左折したところで先頭に斬りかかったのです。
濠の反対側には松平大隅守の屋敷があってその家中のものが事件を目撃しながらなんら手助けに出なかったので事後お役御免になっています。
Commented by saheizi-inokori at 2010-08-26 10:34
c-khan7 さん、そういうことを考えながら読んでいると彼らの行動力と洞察力などに驚くほかはありません。
Commented by saheizi-inokori at 2010-08-26 10:45
きとら さん、私は吉村の説得力が好きです。
もっとも藤沢は殆ど読んでいないのですから論評できません。
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by saheizi-inokori | 2010-08-25 11:41 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback(2) | Comments(8)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori