檻のない牢獄! 西澤晃彦「貧者の領域 誰が排除されているのか」

昔から存在する「貧困問題」はつねに国の隠蔽=見えなくする企みによって見え方が違っている。
現代のそれは1990年代以降の野宿者の都市空間への溢れだし,2000年代に入ってのインタネットカフェにおける貧者の発見、「年越し派遣村」などを契機に隠蔽されていたもの、筆者の言うところの「貧者の領域」がそのごく一部を社会に晒している。

「非定住」「非組織」「非家族」の者たちが非国民的存在として制度的・社会的に排除され続けてきた。
かつて(戦時中の)の飢えを知る者からすれば現代の貧困は大した問題ではない、と嘯く人がいる。
かつて俺(子どもの頃の貧乏体験”自慢”が多い)のブログにもそういうコメントがあった。
しかしあの頃の貧困は社会的に共有されていたのだ。
その後の高度経済成長で人々は「総中流の神話」に身を委ね、時に現れる貧困には自己責任という念仏を唱え、貧困問題の現実から目をそらし続けた。
かつての貧困は「普通」だったが、その後も存在しつづけ今もなお増大しつつある貧者の群れは、「普通」から疎外され、アイデンティティを剥奪されて放置された存在なのだ。
檻のない牢獄! 西澤晃彦「貧者の領域 誰が排除されているのか」_e0016828_1049409.jpg

財や権限を既得する層・集団や国家権力が、特定の社会的カテゴリーを資格外とみなし財や権限から締め出すとことを、社会的排除という。
筆者は社会的排除という概念で貧困問題をその歴史・実態・機制を探る。

筆者は貧困の問題を「存在証明の問題だ」といい、
パンを与えられることで解決される問題なのではなく、パンを奪い取ることで解決される問題なのだ。
野宿者の生きる空間は「檻のない牢獄だという。
それは排除の空間、彼らは仕事もなく部屋もなく、組織・定住社会から排除され「福祉事務所は、命綱などではなく、人権などという概念が無効な非人間であることを思い知らされる場所」だ。
さらに「檻のない牢獄」は自己否定の空間でもある。
自己否定の感情に抗って自立を目指しても挫折することが一般である。
そして「檻のない牢獄」は死を待つ空間である。
観念論ではない。
その実態をホームレスへの取材やデータにより提示する。
檻のない牢獄! 西澤晃彦「貧者の領域 誰が排除されているのか」_e0016828_10574935.jpg

筆者は東京の銭湯経営者にインタビューをする。
明治以降、新潟や北陸の人が銭湯経営に乗り出して、彼らは親分として郷里の人々を子分として住まわせ仕事を覚えさせやがて独立させた。
そして銭湯という空間にはさまざまな職種、出身、階層の人々が集まりながらリラックスする。
そこではお互いに守るべきマナーが自然発生的に作り上げられる。
番台の銭湯経営者はそれを見守るのだ。
すなわち
「都市的なもの」が、異質化された他者を受容して境界線を引き直す社会の自己運動を活性化している。
そういう都市的な機能が徹底的な統制ーディズニーランドや大規模ショッピングセンターに観られるような“提供されたシナリオ”に興じ、共存する他者の不在ーや自己責任(かつて、自業自得と言った、むしろそれが本音)の観念、さらに経済的衰退による周縁化などにより、失われている。
シャッター通り、銭湯の衰退(あってもマナーの悪い利用者)、、俺にも理解できるな。
檻のない牢獄! 西澤晃彦「貧者の領域 誰が排除されているのか」_e0016828_10585126.jpg

そして新自由主義の挫折により貧困問題が語られるようになった今でもなお貧困問題は隠蔽策(分散と隔離)であリ続け、治安問題にすりかえられたりしている。
“福祉”政策が新たな排除すべき対象を創り出している。

脱領域的なアテンション(他者への注意力、心の傾注)を持ち続ける人々、それを筆者は社会系という。
80年代以降、多様な弱者・マイノリティの支援運動の現場にどこからともなく現れた、既存の政治力とは無縁のような人々。
そんな人々が社会系というべき人々の集積の露呈とは考えられないだろうか。
と、筆者は彼らに期待する。
今が社会の危機であるからこそ、社会は想像されうるのかもしれないと。
排除された貧者の憎しみが重要な鍵を握っている(握らされてしまっている)。憎悪は人々に途方もないエネルギーを充填させる。

憎悪をいかに除去すべきかという問題のたて方は、貧者を再び隠蔽するものに過ぎない。そうではなく、憎悪がやはり公共圏から締め出されていて社会化されていないことが問題なのである。敵対は忌避されるべきものだはなく、言説化されねばならない。
屑やの久さん!酔っぱらわなくても声をあげようぜい!

河出ブックス
Commented by 旭のキューです。 at 2010-08-01 13:24 x
銭湯の組織がわかりました。銭湯にいってマナーを磨きゃなくちゃ!
Commented by c-khan7 at 2010-08-01 17:17
貧しいと言いつつ,夏には海外旅行に行く人もいる。
貧しくて、コンビニの廃棄食品をあさる人もいる。
蝉はお金がなくても、元気に鳴いてるなぁ。。
Commented by kaorise at 2010-08-01 17:38
私の隣室のお年寄り、ほぼ2年、毎日何時間も電話で怒鳴って大変だったんです。
とうとう近所中が怖がって窓を閉め切って暮らすことになり、しびれを切らしたご近所さんと一緒に交番と不動産屋に談判に行き少し納まりました。
その方、表面的な人つきあいすらできないようで、20年近く同じ部屋に住んでいるのに、近所つきあいがないのです。
自分だけの親密な人間関係に重きを置きすぎて、自然なマナーがなくなってしまったのでしょう、、
心の貧困を痛切に感じた出来事でした。
Commented by saheizi-inokori at 2010-08-01 23:04
旭のキューです。さん、旭にも銭湯ありますか^^。
Commented by saheizi-inokori at 2010-08-01 23:06
c-khan7 さん、コンビニやレストランの残り物を貰うことを潔しとしないホームレスもいるそうです。
それぞれの“矜持”をもっているのですがそれが生きることを難しくもしているのだと。
Commented by saheizi-inokori at 2010-08-01 23:09
kaorise さん、貧困というより病かもしれませんね。
もともとは普通の家族を持っていた人がホームレスになって自己否定の念から人と会話ができなくなる事例も多いそうです。
もちろん隣の方のことではないですが。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by saheizi-inokori | 2010-08-01 11:04 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(6)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori