渡辺京二 「日本近世の起源 戦国乱世から徳川の平和(パックス・トクガワーナ)へ」
2010年 06月 19日
渡辺京二が熱い想いをこめてこの名著を著したのは、単に懐旧の念に浸るためではない。
住民の親和感と幸福感にみちたひとつの調和的な社会が滅んだということその社会を呼び戻すことは出来ないのに何故学ぶのか。
ただひとは、近代が獲得した美点をほとんど欠きながら、それが喪った美点をことごとく備えていたひとつの文明の姿から、人間の共同社会がとるべき姿は、何も今日そうなっているような極限的な“近代”のそれでなければならぬ理由はないのだと悟ることはできる。つまり渡辺は「逝きし世の面影」という情熱の名著において現代に異議を申し立てているのだ。
土地と労働を自然や人間の実体から切り離して商品化してしまった、その結果、人間関係を解体し、人間の自然環境に絶滅の脅威を与える近代資本制国家に異議を申し立てている。
徳川幕藩制国家はそうならないように介入していたという。
領主は領国のうちに平和を実現すべき責任があるという、15世紀に生まれた政治思想が、16世紀にはひろく地下衆に浸透し、戦国大名の国家理念となって、ついに秀吉の統一国家を実現し、徳川の平和として現実に実を結んだのは、村々や町々に築きあげられた共同という社会的基礎があってこそだった。徳川の平和とは村々や町々に充ち溢れた豊かな生命の光であり、そのことは徳川の世が深まるにつれて明らかになったのである。本書はそういう徳川社会がどのような経緯を経て成立したのかを明らかにしている。
網野善彦を代表とする戦後の左翼的歴史家は「日本のルネサンスともいうべき可能性をはらんだ室町後期の社会的活力を、武力により窒息せしめて出現したのが反動的・専制的な織豊政権および徳川政権である」とし「明るい中世、暗い近世」という。
それは自由礼讃・反権力志向による幻想と事実が混同された錯誤であると渡辺は徹底的に批判する。
笠松宏至、勝俣鎮夫、藤木久志(「雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り」について紹介した)などによる90年代の研究成果を引用する。
実際、渡辺の博引傍証は古今東西、驚嘆すべき“素人”というほかはない。
興奮しながら読んだ。
悲惨な中世の農民たち、生きるために戦争を待望して略奪に加わるか掠奪されるか、命が救われても奴隷となって輸出されることも珍しくはなかった。
加害者でもあり被害者でもあるという、絶対に救いのない人々の前に現れたのが親鸞だった。
救いがないところにこそ救いは要請される。
救済はすでになされているという覚知をひとと共にし、感謝の暮らしを生きようとする、だから弟子はなく同行の衆あるのみだった親鸞。
その意に反して教団を組織し領地経営に乗り出した一向一揆に対する渡辺の眼差しは厳しい。
あんなもののどこが農民の戦いであり宗教戦争なのか。
信長は門徒だから殺したのではない。
天下統一に逆らう戦国大名を滅ぼすのと何の違いもなかった。
水俣病闘争のことが出てくる。
患者として闘争を率いたのち、認定申請を取り下げて「本願の会」で独自の活動をしている緒方正人のことが書いてあった。
さっそく「チッソは私であった」という緒方の本を取り寄せて読み始めた。
労働と土地を商品化している現代の社会システム、その中で水俣病で父や親族が死に、狂い、苦しんでいる緒方自身もシステムの一員として加害者=チッソであると気がついたという。
徳川期の社会を学ぶことは現代に通じている。
羊泉社MC新書
彼の仏法は王法に介入すべきではないという思いも現実には本願寺教団という組織を守り発展させる必要の前には無力化したと。