ある男の幸運は他人に不幸をもたらすことがある トマス・H・クック「沼地の記憶」

落語三昧、と言っても本は読む。
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トマス・H・クックの「死の記憶」「夏草の記憶」「緋色の記憶」など記憶シリーズは独特の味わいがある。
疾走感、次から次に起きるグロな事件、いろいろな個性に富んだ主役たちの登場、、読後にはカタルシス、、みたいな流行りのミステリとは対極にある。
わたしは不幸にも恵まれた星の下で育ったので、暗闇を見ることも、暗闇のなかに隠れているものを見ることもできなかった。逃れようのないその瞬間が来るまでは、わたしにとって悪ははるか彼方のもの、軍隊や暴徒や血に飢えた個人の犯罪に関する講義ノートでしかなかった。

これが本書の書きだし、どうですか、読んで直ぐに頭に入りますか。
読み終わってみると、この三行は小説の核心を提示していたのだが。
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とっつきにくい持って廻った表現が繰り返されていくうちに物語が進行する。
映画のフラッシュバック手法のように過去のさまざまなシーンが織り込まれて読んでいる俺は奇妙な浮遊感、時を浮遊する感覚に囚われる。
暗示と比喩が続く。
物語の核心は最後まで明かされない。

霧の林の中でおいでおいでをするニンフに追いついたと思ったらふっと消えてその先には又薄暗い道がみえるかのようだ。

アメリカ南部、人種と階級でいくつかの地区にはっきり線引きされているレークランド。
そこにある高校で
自分の家族がほかの名家といっしょに長いあいだ支配してきた人々に、南北戦争の前後を通じてわが一族の繁栄を支えてきた人々に、奉仕したいと思って
教鞭をとる主人公、当時24歳は特別クラスを対象に「悪について」というテーマで講義をする。
ミンスク号という監獄船で男たちが行列をつくって、裸にされ脚を広げて横たえらた不幸な女に“跨る“のを待つ話、その女たちが飢えて凍えて死ぬと海に投げ捨てられた話、、世界史・文学作品などに登場した悪を紹介して悪について考えさせる。
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生徒の一人は、レークランドで誰知らぬ人はない女子大生殺人事件の犯人の息子だった。
主人公教師が、「誰でもいいから自分が悪人だと思う人物についてのレポート」を書くことを課題にする。
ヒトラー、スタ-リン、、寡黙にして仲間外れだった殺人犯の息子は「父」を選ぶ。
そのように誘導したのは教師だった。
極貧地区で育ちそこで生涯を終えることが定められているような生徒に手を差し伸べて激励し特別に指導をする教師。

幼い時に死に別れた父親の事件を調べていく過程で浮かび上がるレークランドという街の貌。
際立って“個性的”なキャラクターは登場しない。
普通の人々の中にあるさまざまな個性がくっきりと描かれる。
きらきらと輝く青春を過ぎて成長しやがて老いていく人生。

その教師が年老いて回想する形で物語られる。
これもまた父と子の物語でもある。
読後にはカタルシスではなくて余韻が残る。
決して悪いものじゃない。

村松潔 訳
文春文庫
Commented by antsuan at 2010-05-03 11:21
祖父母の時代の過去を凝視するのには、まだ相当な勇気がいるということでしょうね。
Commented by kaorise at 2010-05-03 13:11
そういえば、、「悪について」という講義で思い出したのですが
最近NHKでやっているハーバード熱中教室という番組、ご存知ですか?
「JUSTICE」をテーマにしたハーバードの哲学の講義番組で面白いです。見ててわくわくします。
saheiさんなら楽しめるのでは、、すでに知ってたらすみません〜
Commented by saheizi-inokori at 2010-05-03 13:13
antsuan 、私自身は祖父母の過去というのは垣間見ることもできない、せいぜい遺した歌で想像するだけ、それも私が生きてある頃しか。
Commented by saheizi-inokori at 2010-05-03 13:14
kaorise さん、衛星ですか?
調べてみましょう。
Commented by saheizi-inokori at 2010-05-03 13:22
kaorise さん、とても面白そうです。
忘れないでみます。
Commented by 旭のキューです。 at 2010-05-03 13:24 x
書き出し3行、3回読みましたけど、理解できませんでした。分かったのは、花の接写が綺麗だったことです。
Commented by c-khan7 at 2010-05-03 13:30
ハーバード熱中教室。面白いですね。
昨日は代理出産をテーマに議論していました。
沼地の記憶、重いテーマですね。でも、ただ重いだけでなく、心に響く何かが残りそうです。
Commented by saheizi-inokori at 2010-05-03 13:32
旭のキューです。さん、あはは!
ありがとう、さっきもいくつか撮ってきましたよ。
Commented by saheizi-inokori at 2010-05-03 13:33
c-khan7 さんもご覧になっていたんですね。なんだか離れ小島の住人になったような気がしてきた。
Commented by cocomerita at 2010-05-03 20:59
CIao saheiziさん
私には始めの5行
>わたしは不幸にも恵まれた星の下で育ったので...
が心に残った
私も恵まれた星の下に生まれ、育ったと思っています。
でも、だからこそ小さいころから陰の部分が気になって仕方なかった
社会の暗い部分、暗い部分で暮らしている人が気になって仕方なかったんですよね
でも実際触れてみるとね、大して暗くはなかったりすることもあるんですけどね
なんていうのかなあ、ただ明るい所より暗い所に近いところのほうが光もより一層鮮やかに鳴り、そして毒気の持つ魅力なのかもしれないけど、何か生きてることの味が深い気がして
まあ、こういうのも本当に困っていない人の罪のない観光なのかもしれないけどね 苦笑
Commented by saheizi-inokori at 2010-05-03 22:52
cocomerita さん、結局のところ人の人生はわからないのですね。だから自分の人生を自分が納得できるように生きなければならない。
ああそれなのにそれなのに!
Commented by tona at 2010-05-04 09:50 x
恵まれて育つことがある点では不幸であるというのに納得です。
人の幸・不幸は計り難く複雑ですね。
私も早速「ハーバード白熱教室」を予約しました。ありがとうございます。
Commented by saheizi-inokori at 2010-05-04 10:02
tona さん、ほんとにそうですね。
ある人には幸せと感じられることがある人には不幸せと感じられるのですから。
Commented by mmiizzz at 2010-05-04 14:57
トマス・H・クックは全部読んでます☆
…と思ってたら未訳のものがあるんですよね。残念。
原文で読めない自分にも残念。
Commented by saheizi-inokori at 2010-05-04 16:12
mmiizzz さん、原文はさぞかし難しそうですね。
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by saheizi-inokori | 2010-05-03 10:58 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(15)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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