ある男の幸運は他人に不幸をもたらすことがある トマス・H・クック「沼地の記憶」
2010年 05月 03日
トマス・H・クックの「死の記憶」「夏草の記憶」「緋色の記憶」など記憶シリーズは独特の味わいがある。
疾走感、次から次に起きるグロな事件、いろいろな個性に富んだ主役たちの登場、、読後にはカタルシス、、みたいな流行りのミステリとは対極にある。
わたしは不幸にも恵まれた星の下で育ったので、暗闇を見ることも、暗闇のなかに隠れているものを見ることもできなかった。逃れようのないその瞬間が来るまでは、わたしにとって悪ははるか彼方のもの、軍隊や暴徒や血に飢えた個人の犯罪に関する講義ノートでしかなかった。
これが本書の書きだし、どうですか、読んで直ぐに頭に入りますか。
読み終わってみると、この三行は小説の核心を提示していたのだが。
とっつきにくい持って廻った表現が繰り返されていくうちに物語が進行する。
映画のフラッシュバック手法のように過去のさまざまなシーンが織り込まれて読んでいる俺は奇妙な浮遊感、時を浮遊する感覚に囚われる。
暗示と比喩が続く。
物語の核心は最後まで明かされない。
霧の林の中でおいでおいでをするニンフに追いついたと思ったらふっと消えてその先には又薄暗い道がみえるかのようだ。
アメリカ南部、人種と階級でいくつかの地区にはっきり線引きされているレークランド。
そこにある高校で
自分の家族がほかの名家といっしょに長いあいだ支配してきた人々に、南北戦争の前後を通じてわが一族の繁栄を支えてきた人々に、奉仕したいと思って教鞭をとる主人公、当時24歳は特別クラスを対象に「悪について」というテーマで講義をする。
ミンスク号という監獄船で男たちが行列をつくって、裸にされ脚を広げて横たえらた不幸な女に“跨る“のを待つ話、その女たちが飢えて凍えて死ぬと海に投げ捨てられた話、、世界史・文学作品などに登場した悪を紹介して悪について考えさせる。
生徒の一人は、レークランドで誰知らぬ人はない女子大生殺人事件の犯人の息子だった。
主人公教師が、「誰でもいいから自分が悪人だと思う人物についてのレポート」を書くことを課題にする。
ヒトラー、スタ-リン、、寡黙にして仲間外れだった殺人犯の息子は「父」を選ぶ。
そのように誘導したのは教師だった。
極貧地区で育ちそこで生涯を終えることが定められているような生徒に手を差し伸べて激励し特別に指導をする教師。
幼い時に死に別れた父親の事件を調べていく過程で浮かび上がるレークランドという街の貌。
際立って“個性的”なキャラクターは登場しない。
普通の人々の中にあるさまざまな個性がくっきりと描かれる。
きらきらと輝く青春を過ぎて成長しやがて老いていく人生。
その教師が年老いて回想する形で物語られる。
これもまた父と子の物語でもある。
読後にはカタルシスではなくて余韻が残る。
決して悪いものじゃない。
村松潔 訳
文春文庫
最近NHKでやっているハーバード熱中教室という番組、ご存知ですか?
「JUSTICE」をテーマにしたハーバードの哲学の講義番組で面白いです。見ててわくわくします。
saheiさんなら楽しめるのでは、、すでに知ってたらすみません〜
調べてみましょう。
忘れないでみます。
ありがとう、さっきもいくつか撮ってきましたよ。
私には始めの5行
>わたしは不幸にも恵まれた星の下で育ったので...
が心に残った
私も恵まれた星の下に生まれ、育ったと思っています。
でも、だからこそ小さいころから陰の部分が気になって仕方なかった
社会の暗い部分、暗い部分で暮らしている人が気になって仕方なかったんですよね
でも実際触れてみるとね、大して暗くはなかったりすることもあるんですけどね
なんていうのかなあ、ただ明るい所より暗い所に近いところのほうが光もより一層鮮やかに鳴り、そして毒気の持つ魅力なのかもしれないけど、何か生きてることの味が深い気がして
まあ、こういうのも本当に困っていない人の罪のない観光なのかもしれないけどね 苦笑
ああそれなのにそれなのに!
ある人には幸せと感じられることがある人には不幸せと感じられるのですから。