花見酒から恋、そして地獄 「若菜」「求塚」 能楽現在形(国立能楽堂)
2010年 04月 24日
海阿彌(茶坊主かな)・シテ・野村萬斎と大名・アド・野村万之介が大原に花見に行って大原女(深田博治、月崎晴夫、高野和憲、竹山祐樹、石田幸雄)たちと楽しく酒を酌み交わし歌い踊る。
それぞれの芸尽くし、滑稽な長閑な華やいだ、かつて京にあった時空間に暫く俺も交ぜて貰った。
こんな贅沢はそうはないなあ。
笛・杉崎信太朗、小鼓・飯田清一、大鼓・亀井忠雄、太鼓・前川光範
能・「求塚」
二人の男に同時に熱烈な求愛をされた。どう思いますか?
あちらに従えばこちらが恨むだろう。バイスバーサ。
進退谷まったので「あのオシドリを射落とせた人」にと。
なんと二人とも同じ鳥の羽を射通す。
あたら睦まじいオシドリの夫婦仲を裂いてしまった!
この私ゆえに!なんと罪深い!
生田の川に身を投げて沈んでしまう。
哀れと思った人たちが塚に埋めてやる。
二人の男、やってきて、生きていてもしょうがないと刺し違えて空しくなる。
死んだ娘は二人の死をも我が身のせいと八大地獄で苦しむ。
二人の男が左右から手を取って「こっちへ来い、こっちへ来い」と責めたてる。
オシドリは鉄鳥になって鉄のくちばしや足で頭をつつき脳髄を食う。
塚の上に火焔が襲い来て逃げようと思っても前は海、後左右はさかる炎、柱にすがりつくと、それがパッと火焔となる。
馬鹿じゃないの!かな。
男女の関係として考えるといくら昔のことでもあんまりじゃないかと思う。
でも人生に起きる様々なことについて考えると、俺なんか罪の深さに身をよじりたくなることが多い。
たとえば人事。
誰かを登用すれば誰かががっかりする。
一家眷族ががっかりしたかもしれない。
彼の話を聴いているときには別の男の必死の訴えを聴けなかっただろう。
ここに書けないような黒々しいことも、、やらなかったと言い切れるか。
そんな俺でもへらへらと、、、
生き続けている、この恥知らず。
そんなことを考えなくとも能は素晴らしかった。
前半ののどかな若案摘みの情景から一転求塚のいわれが語られる。
野村萬斎のアイが哀切な乙女の死を朗々と語る。
朗々だからかえって哀しい。
後半、塚の中から聴こえてくる、mournfulなうめき声。
地獄からの声だ。
やがて塚から出て悶えつつ地獄の苦しみを語り舞う乙女(シテ・片山清司)。
友枝昭世の「求塚」を観たのはもう2年前のことだ。
観たことも忘れていた。
詞章を読んでいくこともうっかりしていた。
能に対する熱中も覚めたかとおもっていた。
なのに、ガシッと心の臓を鷲掴みにされたような凄絶な能だった。
前もって詞章を読んでいった友枝さんのときより強い感動。
謡、囃子、すべてが創りあげる感動はなまくらな男にも伝わった。
又観つづけることになりそうだ。
終わって会場でお会いした仲間と
ちょっとやっていきますか
とてもこのまんま帰れやしない
”ちょっと”はちょっとやそっとではなかった。
シテ・片山清司 ツレ・谷本健吾、坂口貴信、川口晃平
ワキ・宝生欣哉 アイ・野村萬斎
地頭・観世銕之丞 笛・杉信太朗 小鼓・飯田清一 大鼓・亀井広忠 太鼓・前川光範
これだけで軽く一膳はいけそう、、
saheiziさんの文を読んで
私もいかににどんだけの人を傷つけてきたか?
とふと考えた
んだけどねー
2分もたたずに、私の勝気な脳ミソ
あーやめたやめた
傷つくのも人生、傷つけるのも人生
なんか所詮お互いさまでしょ とメッセージを送ってきた
おいしいお酒とおいしいつまみで
今日は今日、明日は明日の風が吹く~~
男も女も本当に辛い悲しいお話。能での表現が合うのでしょうか。
終わった後も楽しかったですか?
二人の人に求愛され、決断できないから鳥を殺した人となら、のあげく自殺ですか。
結局彼女はだれも何も愛してはいないではありませんか。
男も自然の世界(鳥)も自分自身も。
決められないのなら、二人とも選ばなくてもよかったんです。
他を傷つけず、あえてひとりを生きることもできるのに。
欲を捨てられないから人間なのだけど、欲を捨てられるのも人間ではないか、と思いました。
トムウェイツ。あの声にはドラマがあります。大好き。
ただ記事にも書いたように選択を放棄できない場合というのは今でもしょっちゅうあります。
まあ、この能の魅力は地獄で苦しむ姿をどう舞うか謡い囃すかなのですが。
久しぶりに翌日起きてから又寝をしましたよ。