暴力は優しさの一表現か 映画「息もできない」
2010年 04月 03日
まさに息もできない。
父親の家庭内暴力のあげく母親と妹を“殺された“主人公は口を開けば
クソ野郎!自分の気持ちをそれにふさわしい言葉で表現できない。
その代り、すぐに手が出る。
チンピラ、借金の取り立て、凄腕だ。
チンピラ仲間の弟分たちも殴る。
凄まじいのは刑を終えて一人暮らす父に対する殴る蹴る。
しかし冒頭の暴力場面で彼が殴られている女を救ったのをみている俺には彼の優しさが透けてみえる。
一人で子育てをする姉の子を可愛がる。
彼独特の不器用な可愛がり方で。
路上で唾をはいたらすれ違った女子高生のネクタイにかかった。
落し前をつけろ、バカ野郎!と平然という女の子。
彼女の父はベトナム帰り、母親の死んだことも分からず、汚い言葉で娘を罵る。
弟は鬱屈してゲーセンに入り浸る。
二人がお互いの境遇など一言もしゃべらないままに奇妙な付き合いが始まる。
恋愛ではない。
憐みでもない。
追いつめられた動物がお互いに自分と同じ匂いを嗅いだかのような。
愛があることだけは間違いない。
説明はいらない。
スピーデイな場面展開を息を詰めて観ている。
感じるのだ。
この世界のどうしようもなさを。
どうしようもない世界で優しさをもちつづけることの難しさを、切なさを。
前半快調なテンポで展開していた映画は途中からやや息切れしたかもしれない。
事件が多すぎるのだ。
とくにラストはもたもたした。
惜しい!
製作・監督・脚本・編集・主演を一人でやったヤン・イクチュンの初監督作品だという。
彼の思いがあふれてあふれてこんな映画になったのかもしれない。
しかし前半だけでも素晴らしい。
北野の初期の作品をもっと研ぎ澄ましたような、、そう、北野の映画は色が豊かだけれど、こちらはモノクロのような印象が残る。
流す血さえ黒い。
暴力映画は苦手です。
観てて、身体も心も痛いから、
暴力にもそれなりのその人の伝えたいメッセージがあるんだろうが、それでも全然きれいじゃないし、いやだなあと思う。
saheiziさんのアドバイスに従い、お粥にわさびを添えてみました。
旨かった!
ありがとう。
こちらの体力と気力が無い時には、その落ち込みから中々、もどれそうもありません。
私は北九州出身なので、幼いころからこういう人はそばにいるんだな、と感じてきたので、、そんな風にしか生きれん(自分を表現できない)人もおる、という切なさを感じます。
ーいくらその人が悪くてもね、あんまり責めたらいけんとよ、、といってた父の言葉を思い出しました。
それがひねくれたり暴力になって発現していく?
暴力を行うひとの強さということではなく。
俳優たちもみつからない。