嵐あけのお彼岸に 亡き母の口ぐせ
2010年 03月 21日
やれやれ、、やっぱり我が家が一番!めったにないことではあったが皆で旅行などして家に帰ってくると、母は畳に足を投げ出して、いつもこういうのだった。
。
水道もない、何にもないがらんとした幼い兄弟と母だけの我が家。
三度三度のご飯を考えず風呂もある旅館から帰っても。
若い母は我が家の何が一番良かったんだろう?
母は貧しいままに精いっぱい働いて俺たちを育て、会社や世の中の女性差別などとも戦って生きた。
晩年、一緒に住んで楽にしてもらおうと思ったけれど、俺は自分のことばかり考えて母のほんとうの気持ちを察してあげることが足りなかったように思う。
あの郁子(ムベ)と小学校の銀杏の見える部屋に外から帰って、一人で「やれやれ、、我が家が一番」とつぶやいたのだろうか。
”我が家”という気持ちを持ってくれていたのだろうか。
子どもころの我が家には何もないようですべてがあったのかもしれない。
俺がその一員であったことが救いだ。
やれやれ、、寝るほど楽はなかりけり布団に入ると、こうも言ってた。
今日はひとつづつ。
お供への朝茶のかほりほのぼのと今日一日の安らぎいのる
彼岸詣父の背越えし子供の背
嵐あけのお彼岸に 亡き母の口ぐせ 足りないのは 風 ではなく 母 なのかもしれない お昼寝して目が覚めたら うちの中に誰もいなかった そんな 置いてきぼりにされた気分 私は広いサッカーフィールドで 一人でプレイするサッカー選手 私のことを誰よりもわかってて 誰よりも応援してくれてて 誰よりも誇りに思っててくれた 母が足りない そして私に風をいつも送ってくれていたのは 母 もう8年もおしゃべりしてないと思うと 気が遠くなる ...... more
自分の匂いのしみついた我が家が一番。
最期はどこであろうが、懐かしいのは、楽しかった我が家です。
きれいなお花がそれぞれお母様の素敵なところを語っているようで、胸に響く。
母の話はどなたの話でも泣けちゃうんだよね
まだ乗り越えてない証拠、、
うちの母も同じようなこと言ってましたねえ
ああ、やっぱりうちはいいわねえと
自分たちが母や父の歳に近づいていくにつれ、
見えなかった彼らの思いが急に見えてきたりして、
ああこうしてあげればよかったのに、と後悔の念にさいなまれたりする。
でも、かゆい所に手が届いてなかったとしても、
その根底にあったであろう私たちのよかれ、、という思い、彼らはわかっていただろうと思います。
なんといっても彼女らは母ですから、
その辺が母の偉大なところだと、いまだに思い出しては感心しきり
うちの母も今頃saheiziさんのお母さんと巡り合ってるかなあ、
お茶でも飲んでおしゃべりしてくれるといいなあ
おしゃべりが大好きだったから、
あの世があって安らかにしていてくれればどんなに嬉しいかと思います。
いいなあ。
独り立ちして偉そうにしたら1.5番くらいになっちゃう^^。
わたしも牡丹餅を仏壇に供え、お花を供え無事を祈りました。お墓もきれいにして、お花を供え手を合わせると、清々しい気持ちになります。お歌こころに響きました。
佐平次さん、今はサンチくんの待つ我が家が一番なのでは・・。