二人のお祖母ちゃん、おめでとう
2010年 01月 04日
まず祖母の歌。
中沢家の老媼のわれにとて手づから縫ひしえりかけを直江さんにゆづるとて前にも書いたが祖母と叔母は山梨の中沢厚さんの家の片隅の部屋を借りて生活をしていた。
あやかりてよはいのべませ年高き人のすさびのこの布つけて
中沢厚さんは民俗学者・郷土史家であり篤農家であり、中沢新一の父である。
小中学校の夏休みには弟と二人で行って過ごすことが多かった。
長野から蒸気機関車で結構長い旅をして山梨(当時は日下部)に着くとまず挨拶に行かされた。
持って行ったささやかなお土産を中沢家、その他のご近所にも少しづつ分けて差し上げる。
豪農の大きな屋敷に住んでいたが共産党員だという風に聞いて、だから俺の共産党員の印象は温厚で快活にものを教えてくれた中沢厚さんなのだ。
”老媼”のことは覚えていない。
厚さんの奥さんが美人だったことは覚えている(やっぱりやさしい人だった)。
祖母たちがどういう御縁で中沢家に世話になったのか。
叔母が熱心なクリスチャンだったからその縁だったのかもしれない。
それは今中沢家のことをネットで調べてそう思うのだ。
”直江さん”とは石和の唐柏というところの旧家にいて祖母とは従姉だったかなあ。
やはり日下部滞在中には必ず叔母が連れて行ってくれたが、こちらこそいかにも老媼という感じ、謡曲の「高砂」に出てくるおばあさんのような貫録とやさしさのある風貌だった。
祖母の歌の御蔭ではあるまいが当時としては長寿を全うした。
地元の誰かのことを「あの家はもとは家の子分でなあ」というのを傍で聞いてヤクザみたいだと思ったことがある。
八十二の正月はたのし今年亦嬉しき事のここだあるべく「ここだ」、幾許、こんなに数多く。
母は以前紹介した句をもういちど。
さし昇る大きな初日をもらひけるお祖母ちゃん!
ことしも孫たち曾孫たち(ひこ孫たち)を護って下さいね。
お正月ってやっぱり昔に味わった家族一緒のお正月を思い出し、思いはさらにその時いた人々へと、つながりますよね。
「嬉しきことここだあるべく」いい言葉だなあ
サンチ、今年も可愛い!
私は古代史ファンですが、網野善彦の中世史は何冊か読んでます。
去年、中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』を読みました。
先頃、中沢新一『古代から来た未来人折口信夫』を買ったばかりです。
日本の古代学はおかしい、折口古代学も、と考えているのです。
私はお盆よりお正月の方が亡き人々を思い出すのですよ。
そんなことないって、サンチ。
母も喜んでいるでしょう。
でも知事選挙の時は「アイツに勝つには力不足なんだゴメン」といって件の都知事に勝てそうな候補者に一票入れてます。
なんとかならないかねえ、まったく。
もしかして間違えて×を押してしまったのかなあ。それにしても二度ということはないですよね。
送信を二度も押すと二通着信してしまうかも。
まあ、それは私が一つ削除すればいいのですが。
うかつ者は私の方ですよ。