散歩必携 柳家小満ん「江戸東京落語散歩~噺の細道を歩く」
2009年 12月 24日
独特の品があってオシャレ、姿もオシャレだが語り口がオシャレ。
諺、地口、川柳、歌、俳句、小説、、着物のあれこれ、雑学というのは失礼だがいろんなことを知っていて噺の中にさらっと披露する。
エスプリ、粋を感じる。
「宮戸川」が漱石の「三四郎」と同じエピソードだと喝破したのには恐れ入った。
かといってお高くとまってるんではなくて気さくな隠居がつい喋っちゃったってな風だ。
「三四郎」の件でも小説の女が一晩何もなかった三四郎に「あなたはヨッポド度胸がない方」といったセリフを披露して「宮戸川」の半七は度胸があったようで、、と笑わせながら噺の前半を紹介してみせる。
「べけんや 我が師 桂文楽」で紹介したように文章もよくする。
これは「東京かわら版」に60回にわたって連載したものをまとめたもの。
日本橋界隈とその周辺、上野を中心として、浅草近辺、墨田川流域と向島、江戸近郊・一、二の六章に区分してお江戸=東京を歩く。
世田谷はないなあ、まあ江戸近郊ともいえないし落語の馴染むところでもないからなあ。
地名の由縁、寺や神社の由来、老舗の評判、、落語のネタとの関わりなどを古川柳や噺のサワリを紹介しながらひょうひょうと、しかも少年のような好奇心をもって散歩する。
男女の色模様とか、ちょっとスケベなお噂もしてくれるからマセタ少年だけれど。
湯島天神の境内に立ち、後ろを振り向けば、そこには広重の描いた江戸の景色が、多少とも偲ばれるはずであった。が、もはやビルの総囲いで、毛ほどの景色も望めない。まったくの歯ぎしりものだ。ちくりと文明批評もある。
こういう本を読んでいてふっと一抹の寂寥感、というと大仰だが喪失感みたいなものを感じる。
それは膝を痛めたからだ。
もうほとんど大丈夫なのだけれど、隠居になってからの怪我や病気はたとえこれが回復しても、完全にというんじゃなくて取りあえず生活できるようになったというレベルであり、次にまたなにかしら故障が発生することが予感されるのだ。
ガシガシ歩いて、上げ潮のゴミのようになって(志ん生の噺にでてくるカカアが遊び歩くダンツクを罵るセリフ)あっちこっちでひっかかって飲んだり食ったり出来た、あの若さってものがなくなっちゃった。
本書を小わきに60回分を120回分にもして町を歩こうと思う。
身体の痛みよりも、もう無理は利かないと思う心のかせが辛いです。
ゆっくり用心なさって、のんびり慎重に歩いて、四方山話また聞かせてください。
ゆっくり歩けば今まで見えなかったものも見えてくるかもしれません。それを楽しみに、、^^。
いいなあ、私も行きたいなあ、無理だけど。