民間のならず者たちがテロと戦うイラク戦争 スティーヴ・ファイナル「戦場の掟」
2009年 12月 22日
ある国の政府が、根拠のない作り話に基づいて専制的な戦争をはじめる。反政府勢力が勃興して、占領軍と対決する。政治的な強い意志はもとより、戦闘部隊の兵力が足りないために、その政府は私兵を雇い、その数が徐々に増えてゆく。大雨のあとのキノコのごとく、数百の軍事会社があっという間に生まれる。ガラス張りの瀟洒なオフイスと取締役会のある大企業もあれば、武装した荒くれ集団にすぎない会社もある。そういった会社が、膨大にいる退役軍人、元警官、スリルを求める輩、競争社会からの脱落者、愛国者、破産者、金に目がくらんだ人間、どうしようもなく退屈した連中などの膨大な求職人口から社員を雇う。アメリカ人、イギリス人、南アフリカ人、オーストラリア人、フイジー人、グルカ兵、左翼ゲリラ組織センデロ・ルミノソと戦った経験のあるペルー人など顔触れは多彩だ。麻薬戦争から脱け出したばかりのコロンビア人もいる。会社はそういった連中に武器を貸し(自分の武器を持っている者も多い)、カリフォルニアほどの広さの乾ききった戦場に解き放つ。そこにはルールも法律もなく、それぞれの分別を除けば、なんの指針もない。2008年に、こうした軍事会社の社員は19万人いたと推定される。
米軍の3万人という兵力をはるかに超えている。
開戦以来、政府がこうした民間会社に払った経費は850億ドルに及び、米軍の戦費の5分の1にあたる。
彼らが戦争を切り盛りしている(軍隊の警備すら担当している!)のだから当然戦闘を行い多くの死傷者が出ている。
だがしかし、政府は傭兵の存在、活動、死傷者について一切勘定に入れていない。
そういう統計はないのだ。
傭兵やその他の民間業者は、イラクの法律によって裁かれることはない。
しかも彼ら傭兵(民間人だ)が殺傷力のある武器を使用することは国防総省の内部規定として連邦官報に発表されている。
傭兵たちが守るべき武器行使のルールの1行目には大文字で「これらのルールは自分を護るために必要な行動をとるという人間本来の権利をなんら制限するものではない」と書いてある。
それが「戦場の掟 BIG BOY RULES」なのだ。
ルーズな管理統制のために一般市民に対する理不尽な殺戮行為が多発している。
「きょうはだれかを殺したい」、そううそぶいて市民を殺した傭兵は会社を解雇された。
そのことを上司に報告した社員も。
それだけ、刑事罰が課されたわけでもないし、米軍中央で問題として取り上げられた形跡もない。
最大の軍事会社“ブラックウォーター”は国務省と直接契約して35億ドルの予算で在外勤務者保護サービスを受注している。
ポール・ブレマー、米大使、、すべてだ。
国務省すらこの会社を統制できない。
ましてや現地の米軍司令官など何を言おうとどこ吹く風である。
陸軍空挺部隊員のコーテは除隊後、フロリダ大学で会計学を学んでいたが、物足らず金を稼ぐためにイラクのインチキ軍事会社に雇われて警備業務につく。
2006年11月16日、この会社の武装警備んが乗る護衛者5台に護られてトレイラー37台の車両縦隊が、武装した数十人に襲われ、コーテたち5人が拉致された。
クエート国境と数千人規模の米軍施設から十数キロのところで白昼堂々と襲撃が行われたのだ。
襲撃犯人の中にその警備会社を解雇されたイラク人がいた。
命を的にしている傭兵の仕事でも一番きつく危険な仕事はイラク人にやらせている。
アメリカは彼らの捜索・救出には冷淡だった。
兵隊が拉致された場合に比べたら無為とすらいえるほど。
明るく家族から愛された好青年の遺体は仲の良かった兄が見てはいけないといわれるほどの無残な状態で発見される。
現代の戦争が俺の抱いていた戦争とはずいぶん違うものになっていることは全く知らないわけではなかったが本書を読むと想像以上にすさまじいことになっているようだ。
ここにあげられている傭兵たちのやってることは「テロ」と変わらない。
思想無きテロとでもいうべきか。
著者はワシントンポスト紙記者としてイラクに特派されて以来、イラク戦争の深層を取材してきた。
本書は2008年度ピューリツアー賞を受賞した。
そういえばおととい紹介した「倒壊する巨塔」は2007年度のピューリツアー賞だった。
伏見威蕃 訳
講談社
一方は古典的ゲリラ、一方は戦闘請負業者。
お互い、何でもありですね。
日本はまだ雇ってませんか?
お金の問題じゃないとしたら、大義は無いのですからあとは何が得られるのでしょうか。
スリル?刺激?
アフガン辺りはタリバンと政府軍を行ったり来たり、、。
スリルや刺激の問題もあるそうですが。
一番問題は誤った戦争をしかけたブッシュ政権の人たちでしょう。
自分たちは、その子どもたちはイラクに行って戦うこともない政権エリートたち。