映画「インフォーマント!」から「セバスチャン・サルガド アフリカ」(東京都写真美術館)へ

まず恵比寿ガーデンシネマで映画「インフォーマント!」を観た。
アメリカの大企業/ADMが日本の味の素などと価格協定を結んだのを内部告発する主人公(マット・デイモン)が大うそつきで自分も1000万ドルもの不正を働いていたという“病めるアメリカ・断末魔のアメリカ”を象徴するような実話をもとにした映画だ。
いわば死に瀕したアメリカないしは現代資本主義とでもいおうか。
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映画館から50メートルも離れていない美術館では「セバスチャン・サルガド アフリカ 生きとし生けるものの未来へ」だ。
飢餓、殺戮、干ばつ、この世の終末かと思えるほどの災厄がアフリカの人々を襲っている。
真っ先に犠牲になるのは子どもたちと女、そして老人。
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皺だけしかない干からびたような乳房にすがりつく双子は骨格が浮き出た頭部だけが異様に大きく体はしなびている。
砂漠の難民キャンプで死に瀕した息子を抱いて立ち尽くす父親。
若く美しい母親の腰のあたりからこちらに顔だけを見せている赤ん坊、どちらの目も絶望を見つめている。
美しさも子どもの誕生も彼女は歓ぶことを許されない。
親子、家族の写真が多い。

宗教画を観ているような感じがしてきた。
聖母マリアを囲む黒い聖家族。
ほとんどが生きることをあきらめなければならないような聖家族だ。
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悲しみを通りこして美しさを感じた。
死に瀕したものの美しさというものがあるのだろうか。
それにしては同じく死に瀕しているアメリカ大企業の役員たちの醜く肥った姿と対照的なこと!

何十万人もの難民が希望を求めてキャンプから祖国へ、祖国から追い出されてキャンプへと歩きまわる写真は旧約聖書の世界を想わせた。

13日まで。

「木村 伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン 東洋と西洋のまなざし」展も同じ美術館で開催中、こちらも見ごたえのある展覧会だ。
戦後すぐの東京の子どもたちが登場する木村作品、これは貧しさの中に未来への希望を感じさせる明るさがある。
この子たちが俺だったのだ。
Commented by antsuan at 2009-12-08 22:27
何であの頃の日本の子供には希望があったのでしょうね。
今に思うとそれが不思議でなりません。
Commented by saheizi-inokori at 2009-12-08 22:30
antsuan、それは戦争が終わったからでしょう。それで世の中が明るくなったのを子どもたちは敏感に感じ取ったのでしょう。
Commented by HOOP at 2009-12-08 22:59
インフォーマントとは密通者、情報提供者でしょうか。
辞書を引けば済むことでしょうが、なかなか(笑)
なんというのでしょう、
結局、居心地のよいところにいても、
荒野に一人取り残されても、
私は神(のようなもの)と共にあると思えば
なんとかならなくてもなんでもありません。
それを不幸と言い、なにかしたくてたまらないのは、
心のどこかに免罪を求める気持ちがあるからなのでしょう。

それでも私はよいと思います。
まだまだ性善説を信じたいのです。
Commented by きとら at 2009-12-08 23:23 x
>悲しみを通りこして美しさを感じた。
 
 罪のない者の悲しさ、美しさ。
 悲劇とはそういうものじゃないですか。
 
 生きるために争うさまは醜いですね。
 いや、アフリカの権力の腐敗は、「生きるため」とは言い難い。
 
 我々も、少なくとも私は、ま、醜い部類です。
 
 悲しさを感じるだけ救いがある、と思うことにします。
Commented by kaorise at 2009-12-08 23:32
サルガド、素晴らしいですよね、今までも何度か作品展にいきました。
この人の写真はどんなに悲惨な状況を撮影しても本当に美しい。
綺麗ではなくて美しい、、美とは死や陰もふくまれてこそ美ですから。
それに表現が美しいから妙な同情や、思い入れが入り込めない。
存在そのものの尊厳が人に伝わると思います。
私は写真は世界を写すものであるからこそ美しくあれ、と思っているの。
だからただ、悲惨なだけの写真は嫌い、、美意識なくシャッター押しただけじゃないのよ、と思ってしまいます。
この展覧会は券を買ったので今週観に行く予定で〜す。
Commented by naou7 at 2009-12-09 00:11
>悲しみを通りこして美しさを感じた。
死に瀕したものの美しさというものがあるのだろうか。

偶然です!
丁度私も同じような事を考えてブログに...^^:
Commented by c-khan7 at 2009-12-09 05:08
先日、マイケルムーア監督が来日され「キャピタリズム・マネーは踊る」の話をされていた。資本主義が、世界全体の貧富の差の根源だと、熱く語られていた。金が全ての世の中は寂しすぎるけど、貧しさを救うのはやっぱり、お金なんですよね。
Commented by maru33340 at 2009-12-09 05:25
サルガド展行かれましたか。本当に、何故あんなに貧しく過酷な環境にある家族が、あんなに神々しく美しいのか…と言葉を失いますね。
彼等の存在自体の尊厳と、それに真摯に向き合うサルガドの魂の出会いから、あの奇跡のような写真が生まれるのでしょうか。
Commented by saheizi-inokori at 2009-12-09 08:14
HOOPさん、アフリカの飢えたる母子は神の臨在を信じまたは感じているのでしょうか。
なんだか自分の存在すら放擲してしまったような感じもする。
それが神々しくみえるのかなあ。
Commented by saheizi-inokori at 2009-12-09 08:17
きとら さん、そうなんですね。
かの親子は絶対無罪といっていい。
ただただ生贄になろうとしている。
それが穢れのない美しさの一つの要素なのかもしれない。
Commented by saheizi-inokori at 2009-12-09 08:21
kaoriseさん、あの大きな丸い目をした女の子、今でもまぶたにちらつきます。ほんとに美しい。
今週いっぱいでおしまいです。
できたらもう一度行きたい。
Commented by saheizi-inokori at 2009-12-09 08:24
naou7さん、拝見してきましたよ。
ほんとは生きて輝く美しさもあるのにねえ。
Commented by saheizi-inokori at 2009-12-09 08:27
c-khan7さん、お金しか人を救えなくなっている、貧しいということが死や絶望に直結していることが問題ではないでしょうか。
1000万ドルを懐に入れる会社役員、母親からいくらもらったかも知らない首相もいるのに。
Commented by saheizi-inokori at 2009-12-09 08:30
maru33340さん、客観的に美しいということは普通の人間にとっては辛く残酷なことかもしれないですね。
豚のように肥ってあさましく食いまくる方が幸せ?
Commented by cocomerita at 2009-12-09 20:34
CIao saheiziさん
私もね、この木村伊兵衛とアンリ、カルテイエ、ブレッソン行きたかったんですよねー
だけど、なぜだか日本は次から次へと用事が入り、映画さえ行けないんです。
残念。
昔、イタリアで第二次世界大戦時の東京大空襲の後の人々のドキュメントを見たことがあります。
あんな悲惨な状態で、焼け野原で鍋で煮た気をしている人々の顔がなぜか晴ればれと希望に燃えているかの様でとても美しかったのにびっくりしたのを思い出しました。
それに比べて物の溢れかえるこの世の中の今の人々の顔の方がさびしく死んでいるかの様なのはなぜなんでしょね。?
Commented by at 2009-12-09 20:46 x
悲しみを通りこして美しさ
まだ経験したことがないなぁ・・・
Commented by saheizi-inokori at 2009-12-09 21:14
cocomeritaさん、身一つになって前向きに生きていくすがすがしさですね。
ものをもち過ぎて心も雑念ばかり!
Commented by saheizi-inokori at 2009-12-09 21:15
蛸さん、死に行く人はそういう美しさになることがあるように思います。私はみました。
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by saheizi-inokori | 2009-12-08 21:41 | 映画 | Trackback | Comments(18)

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