グルメタウン・姫路の真実 亡き祖父と今の俺と
2009年 10月 18日
40年も前に亡くなった母方の祖父は戦後朝鮮から引き揚げてきてどういうイクタテがあったかしらないが甲子園口で小さな本屋をやっていた。
長野の小学生だった俺が初めて遊びに行ったとき、渋谷に大盛堂という大きな本屋があるんだよ、と店名の由来を聞いたから上京した時本物をみてなんだか懐かしかった。
高校野球の歴史に残る「坂東対村椿」の延長18回の投げ合いを見たのはこの祖父に連れていかれたのだ。
酒を飲むでもなく遊びもしない温厚を絵にかいたような人だけれど唯一美味しいものが食べたくて、朝は店の開くのを待つようにして祖母をジャージー牛乳やお気に入りの食パンを買いにやらせ、香ばしい紅茶とトーストでなければだめだった。
石鹸のようなマーガリンしか知らなかった俺は“純良バター”を初めて味わって、そのうまさにびっくりした。
店の奥の3畳くらいの部屋、これも甲子園もほんとにセピア色、窓から光が注いでいた事とかカップから上がる湯気は思い出す。
銀行の役員をしていて公職追放になったようで糊口のために本屋の片隅に座っていたが、きっと思い屈するものはあったろう。
ときどきふらっと出かけて夕方になるまで帰って来ない。
訊いてみると省線に乗って姫路まで行って美味しいもの食べてきたというんだから、と祖母がこぼしていた。
姫路というところに行ったことはなかった。
そこにはきっとうまいものを出す店が軒を連ねていて、祖父はそのどこかの店の二階の窓際に座って海を眺めながらステーキを食ってるんだろうと、その様子を思い浮かべて羨ましいように思った。
少しばかりさびしそうな気もした。
というわけで、姫路=祖父=うまいもん、という刷り込みがなされたんだね。
そいつがずっと心の奥に休火山のように寝ていたのに散歩好きさんの姫路城探訪記で活性化した。
そうだ!姫路行こう。そしてお城を見てうまいもの食おう!
姫路の駅前にはアーケードが発達していて、並んでいる店はナショナルチエーンよりも地元の店が多いようで、それがどこか温かな、いい気分にしてくれる。
しかし、俺の鋭い“うまいもん“アンテナに引っかかる店はない。
単にうまいではつまらない、”姫路のうまいもん”が欲しいネンカラ。
もう一人の少し太めの美人と相談
おでんはいかがですか。関東と同じおでんですが生姜醤油で食べるのです「おでんマップ」というのを広げて見せてくれる。
なるほどなるほど。
「おいしい鮨屋って知りませんか」マスターに訊いてみる。
「う~ん、おいしい所って高いですよ~」、女性スタッフは、誰かさんと一緒に行って焼酎とビールとお寿司4かんくらい食べて15000円取られたという。
ネットで調べてきた店の名前をいくつか挙げてみると、知っていて、おいしいけど高いという。
まあ、城を見てから考えようと店を出た。
快晴はありがたいが汗をかいたので風呂に入りたい。
交通整理をしているお巡りさんに銭湯のありかを訊いて、又500歩も歩いてたどり着く。
料金は410円、石鹸、シャンプー、リンス、タオルなどを買って、バスタオルは借りて、風呂は大きな浴槽はじゃんじゃんお湯が流れていて、ほかにジャグジーに薬湯もあって、足のむくみがす~っとひいていく。
元気回復、再びてくてく歩いて晩飯探し。
昼寄った「銀の馬車道」の前に出たので、教えてもらった昼飯はなるほどだったとお礼を言って、今度は鮨屋を訊いてみる。
女性二人は顔を見合わせていたら、何か細工物をやっていたお兄ちゃんがカンタラという店がいいという。
それで魚町、塩町という繁華街をネットの店やカンタラを探してみるが、うらびれた繁華街にはそれらしき店がみつからない。
ここが「家賃が高いからでしょうね、高いですよ~、どれだけ食べるかっていうよりいくら取るって決めてるみたい」とおでんやのお姉さんがいったところか。
急にその気が失せて、もう一軒ネットでチエックした鮨屋が駅の反対側の今夜泊まるホテルと同じ町名にある、そこに行こうと決めた。
ここにも美人、「ナンタラという鮨屋はどこですか」、隣に座った人のよさそうなおばさんと二人で調べてくれたらホテルのすぐ近く、地図に道順まで書いてくれる。
誘いたくなったけれど、そこはがまんでまた歩く。
ここまでで26000歩でしたよ。
が~ん!臨時休業でしたねえ。
この辺りはちょいとさびしい所、今更繁華街に戻る気も失せて、立ち食いでもコンビニでもと思っていたらぶつかったのが「トンボ」という居酒屋。
二階もある、けっこう大きな店のカウンター(10人も座れる)のむこうが調理場でおばさんばかり6人で魚を焼いたりフライパンを振ったりホールも愛嬌も全部やっている。
やがてひと段落、手が空いたと見えるおかあさんといろいろ話してみると、
姫路にはこれといううまいものはない。ということが判明した。
だいたいここは海からは離れているから魚が獲れるわけでもない。
可愛い子には旅をさせろ、だ。
勉強になるなあ。
姫路という町、人、風景にはとても人を和ませる何かがある。
わずか一泊の滞在ではあるが俺は今懐かしさを感じるのだ。
おじいちゃんは、それもウマイモノとして味わっていたのかもしれない。
駅に飾ってあったが、なるほど、でかくて立派だなあ。
9回までラジオを聴き、それからバイテンダー先へ向かったのですが、着いたら店の連中は仕事せずにラジオの回りにいましたっけ。
ところで「行く立て」って言葉に出会ったのは何年ぶりでしょうか。
しかしお書きになっているように、商店街を歩いてもさほどおいしそうと思える店に出会ったことがなく、お昼はどうもヒットしませんねえ。こちらでお食べになったお昼、いけてるように思いました。
おじいさまの思い出をたどってのノスタル爺?(笑)よいご旅行でしたね。
saheiziさんありがとう
なんだか私も一緒に旅をした気分になった
アーケードに入って、銭湯に入って、おばさんの作るご飯に舌鼓を打つ
うちのおじいちゃんもちょっと変わった人で、今の人には負けないくらいモダンでした。
明治生まれの人って、こだわりがあって妙に粋ですよね。
私もおじいちゃんの思い出たくさんあるから、saheiziさんのおじいちゃんの話もほのぼの読ませてもらいました。
いい気持ち...笑
それを見に行って結局ひと試合以上みてしまいました^^。
幸せ、おじいちゃんが守ってくれたのかもね。
姫路をいい街だと思えるのもそのおかげかもしれません。
彼らが40年後に私のことを覚えているのだろうか、どんなふうに覚えているのかと思いました。
おじいさんの気分、すっごくわかります、、まるでウチの朝ご飯、、
と笑ってしまいました。
朝は「本物のパンに本物のバター、本物のジャムとミルクとコーヒーまたは紅茶」じゃないとテンションあがんないの。
みそ汁とごはんが続くと鬱になりそう、、子供の頃はそれで苦労したものです。
こういう食べ物嗜好は文学好きの性みたいなものじゃないかな、、
きっと姫路にいい感じのカフェまたは洋食屋があったんでしょう。
美味しいコーヒーやバターの上に舶来のジャムつけたトースト出してくれて、本をゆっくり読める店。
わたしも古典もって省線に乗って行きたいな。
そうでなければ一人では途中でやめてしまいますよ。