連休前夜は懐かしい人たちシリーズだ
2009年 09月 19日
木曜日、金曜日、土曜日と懐かしい人たちと次々に会うことができた。
木曜日は新丸ビル、金曜日は上野から下北沢、そこから神楽坂と、俺は突如YOSUIになって「東へ西へ」、途中でパラついても「傘がない」けど「ワインレッドの心」で一路「夢の中へ」だった。
時間はもう少し残されているだろうから、もう少しバラけて欲しかった、などと「限りない欲望」だなあ。
「ありがとう」ありがとう、みなさんでした。
国立科学博物館で「シカン展」を観た後、Mちゃんから聴いた噺。
辻井伸行さんのお母さんは目の見えない辻井さんを美術館に連れて行って、言葉で絵を説明してやったという。
辻井さんの音楽はそうした母親の愛情の上に創られているのだ。
俺は
そうすることでお母さん自身もどれほど心豊かになられたことだろうとも思う。
絵を見ても「きれい!」「すごい!」くらいしか言えない俺は、絵や色を言葉だけで、まったく外の世界を見た記憶のない人に説明するという、そのことの難しさを想像して呆然となる。
触覚、味覚、嗅覚、聴覚に置き換えて言葉を練る。
言葉の持つイメージ喚起力をフル回転させ、そうすることでさらに言葉の力を開発強化していく。
燃料は無限・無尽蔵の母の愛だ。
神楽坂の集まりではYちゃんのお祖父さんが91歳にして風力発電の会社を興すと張り切って社名を募集しているという話。
俺は「おじいちゃんの風」という社名を提案したけれど、家族全員おじいちゃんに思いとどまるよう説得中だとのこと。
久しぶりに会った若者たちに「あるべき姿」を描いて努力することの意味、無目的に”ひたすらがんばる”ことは結局中途半端に終わるばかりではなくて、周りの(とくに部下に)迷惑をかけることについてしゃべって気分を良くしている俺はウザイジジイ化してるな。
今日は駒場東大の構内にある「ルヴェ ソン ヴェール 駒場」で学生時代の友人たちと。
卒業生でなくとも自由に入れるなかなかいいレストランだ。
4人にちょうど良い個室を用意してくれた。
隠居が2人、半隠居が2人、老後の趣味という話題から、Y君が
万葉集以前、文字のない時代の日本人はどのようにして万葉集に歌われたような言葉を伝えて来たのだろう。という。
きっと節をつけて歌うようにしていたのだろうがどんな歌い方だったのか知りたいがそんなことを書いたものがみつからない
俺は
生まれた時から視力のない人はどのようにして外の世界像を身につけるのだろう?それは人にもよるだろうがどんな世界像になっているのだろうか?辻井さんがピアノを弾く時には彼の世界感が根っこにあるはずだが、その世界は俺の棲んでいる世界とどう違うのだろう?などと訊いてみた。
答えはなかった。
答えはなくともワインを紅白あけて楽しい午餐だった。
母は試しに目隠しして得意な曲を弾いてみろと。
如何に不正確な演奏だったかは、
塞いでいない耳から容赦なく入ってきます。
たまに、目隠しで演奏するのは、そんなワケがあったり、、、
あ、絶対に人前で目隠しはしませんよ。
そんな恥ずかしいことをお見せするくらいなら演奏しません。
第二キャンパスのイタリアン「カポ」もひろびろしてて良いですよ。
>どう違うのだろう?
見えるもの同志でも、エライ違いやと思うことがありますねえ。
目が見えない事をそのひとの個性だと考えてみたら、面白いかも。
みえても見えなくても、やっぱり、まわりにいる人との関わり方が世界観を大きく左右するんじゃないかしら、って思いました。
この人たちも最初から視覚がなかったらそうはならなかったのでしょうね。
健常者でも見えてない人はいくらでもいますね。
とはいえ信号の赤は見えるのでしょう、あ、そうか不注意ならみえないなあ。
基本的な輪郭とか言葉では説明しつくせない陰影、空気などを感じる視覚が最初からないということ、そのことがやっぱり想像できません。
もっとも昨日も、たとえば5分後を観ることが出来る宇宙人が俺たちをみていたら、さぞかし想像もつかない境遇だと思うだろう、とかミミズは自分を不自由だとは思わないだろうなどとワインの酔いに任せて少々失礼なたとえまで飛び出した始末でした。
不自由な人の周りにいる人は責任が重いですね。
彼らの世界を創っている。
これも健常者でも共通することでもありますが。
感覚の総和は変わらない?
視覚がなくなると残りの五感が視覚の占めていた判断機能を補うのでしょうね。
その場合、例えば聴覚は第一印象にとらわれて本質を見誤ることは少ないのでしょうか。
視覚が間違うのではなくて脳が間違うのでしょうね。
だとすれば間違いはより多くなるのかもしれない。
視覚が失われた故をもって慎重に判断しようとしてそれに成功しない限り。
今日は彼のアルバム聴いてました^^。