落語「抜け雀」と熊田千佳慕の共通点は
2009年 08月 21日
この小田原の宿で一といって二、とは、ま、下がりますがな、ええ、でも三よりは、えー、下なんですがね、ええ。でも、四よりは、ぐっと下がるン、、、奉公人を置きませんでね、あたくしと家内と二人で、親切を旨として商売をいたしておりますんで、と引っ張り込む。
男、朝に一升、昼一升、晩に又一升、日に三升っつ酒を飲んでは寝ているばかり、これが一週間も続くと女房が不安になって亭主をつついて酒代五両を催促させる。
小判でいいか、細かいのがいいか、ってどっちもない空っけつだ。
気色ばみうろたえる亭主。
男は少しも騒がず部屋にあった白い衝立に目を留め筆の用意をさせる。
一文無しの経師屋が宿賃のカタにおいてったもの、それに下手な絵を描かれちゃ売り物にもならないと抵抗する亭主を威圧する何かが男にはある(単に亭主が頼りないだけなのか)。
大威張りで墨をすらせて衝立に描いていったのは五羽の雀。
その雀が朝になると衝立から抜け出して飛んで行く。
何処かで餌をあさると帰ってきて衝立の絵におさまる。
さあ、大変だ!
宿は“雀のお宿”なんて名前がついて、そりゃあもう、押すな押すな、ハバカリでもいいから泊めろという騒ぎ。
殿さまがお忍びで来て千両で買い取るとまでいうのだ。
そこへ現れたおんトシ五・六十になろうかという人品骨柄卑しからぬお武家さま。
衝立の雀をじっと観ていて亭主にいう。
この雀には止まり木がない。
このままでは疲れて落ちるぞ。
どうだ、俺が止まり木を描いてやろう。
千両もの値がついた絵に下手な止まり木を描かれたら台無しと思うが落ちて死んでしまったらもっと困る。
ちょっとだけよ、とどこかで聞いたようなことを言って描いてもらった止まり木。
何と、翌朝抜け出た雀はちゅんちゅん鳴きながら止まり木に戻ってくる。
稽古をしないために勘当された男が放浪の旅の途中で描いた雀の絵、そこに欠けている“雀に対するいたわりの気持ち”を見抜いたのがその父、狩野派のエライ絵師だったという、落語「抜け雀」。
志ん生、志ん朝親子の十八番だ。
プチファーブルと呼ばれた熊田千佳慕の個展を観た。
ファーブル昆虫記の中の「天敵」という絵、熊田が自ら一番気に入っているというこの絵について個展直前のインタビューで語っている(絵の写真もリンクした記事に載っている)。
この絵はガマガエルに食べられそうになったオサムシを描いたものなのですが、描いているうちにどうしてもそのオサムシを助けてあげたくなったのです。私はとっさに、ガマガエルの視線をそらすために、一匹のミツバチを描き入れました。「私は虫であり、虫は私である」と悟った瞬間でした。以来、自然は自分の ためにあり、自分は自然のためにあるということをつくづく実感し、この世界を絵で描き続けていこうと思えるようになったのです。志ん生と熊田の顔は似てないかい?
草むらに何時間でも腹這いになり、虫の姿を目に焼き付ける。
農家の物置を改造したおんぼろな家で布団を押入れにしまうとアトリエ、一本だけしか使わない絵筆の先で虫の毛を一本づつ描いて行くから、一枚の絵を仕上げるのに一か月はかかった。
昨日書いた伊藤公象とは対極にある表現方法。
しかし、伊藤も自然とともに生き自然を観察して「生命の営み」を表現した。
その姿勢・まなざしは両者に強く共通していると思う。
複製とかカタログを見たけれど実物を見たあとでは買う気になれない。
実物は、その虫や花よりも生き生きとしているように感じた。
いや、そうではない、俺のくされ頭・節穴マナコで看取出来る虫や花の輝きよりも、というべきだが。
熊田千佳慕さん、個展の始まった翌日に亡くなった。
99歳、きっと今頃自分が描いた虫や花たちのパラダイスで彼らと戯れているだろう。
今日は12734歩。
「年を重ねるほどにこの”ときめきの心”は大切だといえるかもしれない」「虫は私であり私は虫である。花は私であり私は花である。命の重さは同じです」熊田
千佳慕さんのこの言葉胸にグッときました。
その生き方自体が芸術ですね。
予想とはちょっと違う声でした。でもかわいい。
打ち合わせというより、、昔でいうブレスト14時間。
たった7枚の写真のために。
ディレクターと一緒にアイデア出しまくって、、、
どの分野でも、人様に見せるに耐えられるものを作るのは命がけだ、といつも思います。
ああ〜熊田先生のゆるやかな命の時間に遊びたい。
確かに熊田さんの時間はゆるやか、でも濃密ですね。
みなさん自然に口角があがっているのが印象的な展覧会でした。
熊田さんの絵をみてると、みゅうちゃんが楽しそうにクローバーの畑を歩いている姿を見ているときと同じ気分になりました。
えもしれない幸せなきもち、、、
犬猫や人間からは感じられない小さな生き物の「無我の幸せ」をこの目でみて奇跡を感じる瞬間といいますか、、
そんな感じを絵画から受けたのは初めてです。
熊田さんが無我になって虫に同化している?