「麻生太郎」は不幸な人間だ 野中広務・辛淑玉「差別と日本人」
2009年 07月 07日
そうだろうね。実際そう思っているんでしょ。朝鮮人と部落民を死ぬほどこき使って、金儲けしてきた人間だから。(略)何の疑問もなしにそう言うんだ。不幸な人だ。一国のトップに立つべき人じゃない。辛は差別の本質を“暗黙の快楽”だという。
相手を劣ったものとして扱うことで自分を保つための装置、だから差別は横行する。
時の権力は、権力に不満が集まらないようにするためには、ただ、差別を放置するだけでいい。
そうすれば、いつまでも分断されたシモジモ同士の争いが続く。
差別は、古い制度が残っているからあるのではない。その時代の、今、そのときに差別する必要があるから、存在するのだ。差別の対象は、歴史性を背負っているから差別されるのではない。在日としてみずから差別の対象となり部落など構造的弱者支援活動を続けてきた辛のコメントは辛辣だが納得できる。
差別とは、富や資源の配分に格差をもうけることがその本質で、その格差を合理化する(自分がおいしい思いをする)ための理由は、実はなんでもいいのだ。部落だから、外国籍だから、朝鮮人だから、沖縄だから、女だから、、、。(略)「麻生太郎」とは、日本社会が生み出した差別の結晶であり、差別による旨みが骨の髄まで染み付いた人間の結晶なのだろう。
差別は必要とされるのだ、俺の拙い経験でも痛感した。
辛は34年も年が離れ政治的立場も反対の野中に、その半生、差別との関わりについて歯に衣着せずに訊ねて、野中は言葉少なくも正直な述懐をする。
あとがきで
辛さんの誘導に乗せられて、いささかしゃべりすぎたように思う。気がついたら、誰にも話さなかったようなことをつい口にしてしまっていたりした。と書いている。
とくに対談の最後。
辛がそれまでの聴き手の立場を踏み越えて、在日差別のために闘って有名になればなるほど母親をはじめ家族に被害中傷が続き家族や親族から嫌われ遠ざかっていったこと、母が日本名を名乗りたがったことなどを“嗚咽を堪えながら“語るのに触発されて野中自身も「もう疲れた」と漏らし
女房は女房で愚痴を言わないけども、やっぱり寂しく思ってるでしょう。だから俺の人生っていったい何だったんだろうと思ってさ。と語る。
野中は結婚するときに自分が被差別部落出身であることを明かすと妻は
それは私が理解しておればいいことです。親や兄弟まで了解を得なければならない話ではありません。といったそうだ。
健気と云うか、、哀しい話ではないか。
途中に挿入される辛の注記やコメントも興味深い。
俺は差別とは関係ないし差別のことなんか知りたくもないという御仁には一読して欲しい。
そういう人に限って大きな足で人の足を踏みつけているのに気がついていないこともままあるから。
角川ONEテーマ21
前回と前々回の内容はアレだったんですが、今回は一応真面目なテーマです。 ご存じの方も多いのではないでしょうか。 6月20日の朝日新聞政治欄のコラム「政態拝見」に、気になる話題が載ってました。こちら↓で詳しく読めます。 麻生首相の差別発言問題:麻生首相に部落差別発言はあったのか、なかったのか 問題の差別発言は、01年3月12日、派閥の会合で、麻生氏が次のような発言をしたというのです。 「野中やらAやらBは部落の人間だ。だからあんなのが総理になっ...... more
どんなところにあるのか、垣間見えた気がします。
彼らは結局、染み付いた匂いを嗅ぎ取っていたのでしょう。
能力もないけれど「家柄」や「出自」の良さを受け入れることが安ど感を与え、自分の下におかれるべきものをつくり優越感に浸れる。
上場企業を退職してから、アルバイトで事務の仕事をしていますが、職場で、正社員という立場だけで裏打ちされた自信をひけらかす人がたまにいて、驚きます。
でも「正社員という立場だけで」と感じるのは、私自身に正社員の経験があるからわかることです。また、正社員だったときに非正規雇用の同僚がいたら、私も同じような態度をとったかもしれません。
そう考えると、そんな社員さんを簡単に非難することはできないのですが、一緒に働いている正社員経験のない若い人たちは、そういった態度に傷ついたり、世の中に対して何かを諦めてしまいます。それがとても不安です。
ところで、中島敦の「山月記」に「尊大な羞恥心が猛獣だった」という主人公の言葉があります。優越感を欲するのは尊大な羞恥心かもしれないと、ちょっと思いました。
その表に私の姓も入っていたのでゾッとしましたが、そのポストを離れるに当たって後任に引き継ぐことも返却することも求められませんでした。
あの紙がどこへ行ったのか思い出せませんが、オフィスを去る際に元部下だった後任に渡したくない極秘文書を全部断裁したので一緒に処分したのでしょうね。
かつてより、野中氏の言動に興味を持ち、また、辛淑玉氏の著書にも触れてきました。両氏にかなりの尊敬の念も持っています。
ただし、野中氏の政界での晩年は些か失望の思いに駆られます。
>差別とは、富や資源の分配に格差をもうけることがその本質で、その格差を合理化する……
故人の元首相と共に、一億円の授受を受けながら事務上の責任者に、一切の責任転嫁をし政界を去って行ったことが腹立たしいのです。
また、暗に陽に組織力を恫喝の材料に使ったことも、許せない事象の一つです。
正社員と非正社員と言うほかに正社員同士でも男女、所属、学歴、コネ、、呆れるほど人びとは“差をつけ”たがりますね。
組織力で恫喝するのは好きか嫌いかは別として被差別部落の置かれた現状を見ればやむを得ない面はあるように思います。
本書では野中は部落だからと言って補助事業などを利権化して不正に懐を肥やした土建業などとは厳しく戦ったと言ってます。
激しい“運動”を予防したいという権力と採用側の双方の希望を満たすためだったと思います。
1948年~1965年頃にかけて戸籍簿が作り直されるまでは、応募書類の1つとして戸籍謄本を提出させれば出身民族や家族構成員の犯罪歴などが一目でわかったのですが、それが不可能になったので警察(の外郭団体)が採用側に提供していたんですね。昔も今も、きわめて個人的な情報にアクセスできるのは警察。
「強引な勧誘を行う宗教団体に多い姓」というのもあり、私はそれを軽視したために数回煮え湯を飲まされましたが、出身民族関連では、例えば結婚式に出席して初めて知ったというケースはありますが不快な経験はありません。
冤罪が発生するのが不思議なくらいだ。
政治家であることは容易なことではないですね。
相手の立場とか気持ちを考えることが絶対に必要だと思います。