寿司屋についてのごたく
2009年 05月 18日
初めて行った店で親方の前に座るなんて不遜な態度を取ってはならない。
顔馴染みになったらなったで新しい客で混みそうな時は長居をしない(そもそも寿司屋は長居をするのは野暮)。
どんなに旨くてもトロばっかりとか偏った注文はしない。
他人の財布だからと高いものばかりを頼むのもちょっと品がないかな。
職人の仕事の混み具合を観てタイミング良くオーダーする。
他の客のオーダーに巧く乗っかると職人は仕事しやすい。
納豆巻を出して板や包丁をきれいにした途端に俺も納豆などと言われてみろよ、トロくらいの値段を付けたくなるかも。
何よりこんな御託を並べてないでウマイ旨いと楽しく食べること(かといって出てくるたびに突拍子もない声をあげてオイシ~イ!とやるのもいかがなものか)。
出されたらさっさと食べる。
干からびるまでほったらかしてご丁寧にタバコの煙で燻製にしようなんてヤツ、八つ裂きにしたい。
他の客に聞こえよがしに自分や自分の知人がどれだけエライかを吹聴するようなマネは最低だ。
縁あって同じ時空間でたべるのだからエライもエラクナイモないでしょ。
こういうようなラチもない、でも知ってるとお徳なことを、俺は人に教わったのではない。
まぁ小説とかエッセイで読んだのは著者に教わったって言えば言えるけれど。
大抵は自分で失敗しながら気がついたことだ。
寿司屋に限らず居酒屋でもレストランでも基本は同じだろう。
美味しく感謝して食べる。
そのためには相客、店の人のことにも心配りをする。
犬の糞のポスターじゃないけれど「自分がされて嫌なことはやめましょう」だ。
チョウ貧乏育ちの山猿の俺でも気がついたことを気がつかないまま年をとっている人がいる。
まあ、そんなこと言う前に寿司屋は生き残れないかも。
高すぎる。
俺が手の届く寿司屋は夫婦二人でやっているような店だ。
この人たちが病気になったり引退したら、もう寿司屋で一杯なんて夢だな。
そう思えばこそ、親方夫婦のことを慮りたくなるってものだ。
お寿司やさんは美味しいけど、お部屋が狭くて疲れるし、、静かにゆっくり食べられる西洋料理の方がいいと思ってしまいます。
そのご夫婦だけでやってるような優しいお店ばかりだといいんだけど、、
普通の若い人達はお寿司やさんからはやっぱり足が遠のくかな。。。
でも新御徒町の鮨處勘八(取材に行きました)はリーズナブルで下町風情の良いお店でおすすめします。かっぱ巻き絶品でした。
そういう店に比べると、職人さんの握った寿司は雲泥の差なのですが高すぎます。
あとお店の人が妙に気取っているのも戴けません。
私の財布では職人さんの握ったお寿司はお昼のランチが関の山
お好みで一杯だなんて、他人の財布じゃなけりゃとてもとても・・・
それが庶民のものでなくなりこの世からも消えていくのは悲しいことです。
ボクのこと?
>どんなに旨くてもトロばっかりとか
トロにしろウニにしろ、あんなものに大金を払うのはみっともないとボクは思っています。
>寿司屋は生き残れないかも。
高すぎる。
集団自爆?
蕎麦やももしかすると?
居酒屋さんに比べて寿司屋さんでは、極めて無口な私ではあります。(ブリッコ! 鰤の子ではありません)
私はマナー以前に、一人ではとても入る勇気がありません。
初めて行った近くのお店では、主人と贔屓の客とばかりの会話で、完全無視され、もう2度と行っていません。
大塚はお寿司が有名だそうで、1度行きました。この店ではないようですが、美味しかったです。
かつては、女が座るって、よほどのスポンサーがいないと座れないものでした。初めてのボーナスを手に、同期の友人とドキドキしながらカウンターに座る・・なんて、今の人たちには、いつの時代の話?でしょうね。
すっかりオバサンになった今も、すし屋のカウンターはお財布が心配でドキドキで、1年に1回も行けません。
コッチは酔っ払うとしゃべってるけど。
所詮シノギなのにね。
男でも知らない寿司屋にはちょっと臆します。
近所の店だとか店構えなどで判断して入ります。
一つ二つ頼んでみてこれはヤバイと思ったらサッサとお勘定して帰ります。
今はお肉の方が断然安い、そして職人がいなくていても手間が高い、だから夫婦でこじんまりやっていくしかないのですね。
初めての店では「松1000円」などと頼むのもいいかもしれません。
さへいじさんの教えを胸に頑張ってお寿司屋さんのカウンターの隅の方に座りたいと思います^^
お孫さんと楽しく過ごされたんですね^^
子供は、やっぱり肉が大好きですよね。
あ!お寿司も!です☆
高いものばかり大好きです^^;
なんでもウンチク、そのうち100円ショップもウンチク^^。
親方には最悪の客だったかも知れない。
シャリ残すなら刺身にしてもらえばいいのになあ。